「アテナ・クラブの驚くべき冒険」シリーズの一作目
2020年刊行作品。作者のシオドラ・ゴス(Theodora Goss)は1968年生まれ。ハンガリー出身のアメリカ人作家である。
『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』は、オリジナルの米国版が2017年に刊行されており、原題は『The Strange case of the Alchemist's Daughter』。
本作は、2010年に発表された短編作品『マッド・サイエンティストの娘たち(The Mad Scientist's Daughter)』がベースとなっている。日本では「SFマガジン」誌の2012年7月号に邦訳が掲載されている。扉絵を描かれたシライシユウコのTweetを発見したのでリンクを埋め込んでおく。
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— シライシユウコ (@ui_uli) January 31, 2019
シオドラ・ゴス『マッドサイエンティストの娘たち』、SFマガジンさん掲載時に扉を描かせて頂いておりました。確かに百合SFといえば百合SFかもしれない。折角なので懐かしい掲載誌を引っ張り出してきました。
書籍としては市場に出回ってない?ようで、残念です pic.twitter.com/7qNi1qFHrY
シライシユウコは今回の『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』でも引き続き表紙絵を担当している。
本作は「アテナ・クラブの驚くべき冒険」としてシリーズ化されており、米国版は全三巻として完結している。残る二作のタイトルは以下の通り。
- European Travel for the Monstrous Gentlewoman
- The Sinister Mystery of the Mesmerizing Girl
邦訳版もきちんと続きが刊行されることを期待したい(頼むぞハヤカワ!)。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
ヴィクトリア朝時代を舞台とした作品を読んでみたい方、「あの名探偵」のファンの方、女の子たちのグループがとにかく大活躍する話が好きな方、メアリ・ジキルという名前にビビッと反応してしまう方におススメ。
あらすじ
ヴィクトリア朝時代。19世紀末のロンドン。令嬢メアリ・ジキルは亡き母が「ハイド」という男に、長年にわたり送金を続けていたことを知る。「ハイド」は、科学者であった父が、かつて助手として遇していた人物で、現在は殺人の罪を犯し逃亡を続けていた。メアリは、名探偵ホームズとその助手ワトスンの協力を得て、事件の謎に迫っていく。背後には謎めいた組織「錬金術師協会」の影が見え隠れするのだが……。
ココからネタバレ
「マッド・サイエンティストの娘たち」が大集合!
タイトルからもわかる通り、この物語の主役は「マッド・サイエンティストの娘たち」である。本作では五人の娘が登場する。それぞれが英米の著名作品に登場する「マッド・サイエンティスト」たちに娘が存在したら?という設定の下に描かれている。以下、簡単に登場キャラクターと元ネタをご紹介したい。
- メアリ・ジキル
- ダイアナ・ハイド
イギリスの作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキルとハイド』が元ネタである。本作のメインヒロインはメアリ・ジキルなので、物語の全体的なバックボーンは『ジキルとハイド』に由来する部分が大きい。
- ベアトリーチェ・ラパチーニ
アメリカ人作家ナサニエル・ホーソーンの『ラパチーニの娘』が元ネタ。
- キャサリン・モロー
イギリス人作家ハーバート・ジョージ・ウェルズが書いた『モロー博士の島』が元ネタ。
- ジュスティーヌ・フランケンシュタイン
イギリス人作家メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』が元ネタ。
「ハイド」の謎を追ううちに、メアリはロンドン市中を騒がせている、娼婦連続猟奇殺人に巻き込まれていく。この過程でメアリは「マッド・サイエンティストの娘たち」に次々と出会う。
常識家だが意外に胆力と行動力があるメアリ。破天荒で動き出したら止まらないダイアナ。憂いに満ちた儚げな美女だが全身から毒素を放つベアトリーチェ。ピューマから人体錬成されたネコ娘キャサリン。フランケンシュタインのパートナーとして造られたジュスティーヌ。
個性豊か過ぎる「娘たち」の織りなすガールズトークがとにかく楽しい。470頁近い大長編だが、リーダビリティは非常に高い。読み始めたらあっという間に最後まで行ってしまった。
メタなツッコミ文体が面白い
本作は、後に作家となったキャサリンが、メアリ視点の三人称文体で事件の顛末を書いている体裁を取っている。しかし、作中のそこかしこで突然他のキャラクターによるツッコミが入るのだ。これがもう「わたしそんなこと思ってない!」とか「これ酷いよね!」とか賑やかなことこの上ないのである。最初は、強い違和感を覚えたものの、中盤を過ぎるとこのメタ構造のツッコミがだんだん面白くなってくる。
メタ構造のツッコミは、結果としてキャラクターの心情や、その時には知りえなかった情報を補足する効果があって、しっかりと計算されて書かれていることがわかる。一つ間違えると興醒めにもなりかねないテクニックだが、きちんと効果が出せているのが素晴らしい。オーディオコメンタリー的なノリを文章で表現して見せているのは、意欲的な試みと言える。
ホームズパスティーシュとしての魅力
19世紀末のロンドンが舞台ということで、本作では世界で最も有名な名探偵シャーロック・ホームズが登場する(もちろんワトスンも出てくる)。この物語でのホームズは出しゃばりすぎず、ちょい役でもない、絶妙のバランスで配されており、パスティーシュ系の作品としてはまずまずの出来なのではないだろうか。
ホームズは何故かメアリには終始好意的で、捜査には同行させてくれるし、移動時の交通費も払ってくれる。少々都合が良すぎるのでは?という感もあるのだが(ちょっとドリーム小説っぽい?)、それだけメアリが魅力的な女性だったということにしておこう。
男性性と対峙すること
この物語でキャラクターたちの声を通して再三再四語られるのが、この時代の女性の生きにくさである。レディたるもの一人での外出はもってのほか。行ってはいけない場所の数々。厳格な服装の制限。不十分な財産権。嫁ぎ先なんて当然選べない。ヴィクトリア朝時代のイギリスでは勤勉、禁欲、節制、貞淑が行動の規範とされた。女性の自由が厳しく制限されていた時代である。
そんな時代背景を考えると「娘たち」の行動は実に自由闊達である。ダイアナは靴を脱いで裸足で壁をよじ登るし、キャサリンはすぐ脱ぎ始めるし、慈悲深いベアトリーチェや、心優しいジュスティーヌもいざとなれば暴力の行使を躊躇わない。比較的常識人として描かれているメアリでも、いざとなれば敵のアジトに突入して拳銃を乱射しはじめるのである。
現代の物語であれば、こうしたヒロイン造形は珍しくもなんともないと思うのだが、ヴィクトリア朝時代を舞台とした作品でやって見せたことに意義があるのだろう。
メアリが際限なく「娘たち」を受け入れていくので、ジキル家のメンバーはどんどん増えていく。女性ばかりで構成されたこの屋敷で、彼女たちは最終的に自活の道を探り始める。「マッド・サイエンティスト」たちの男性性に支配されていた彼女たちにとって、これは自由に向けて歩み始める第一歩なのではないだろうか。