ネコショカ

小説以外の書籍感想はこちら!
『更級日記』菅原孝標女・江國香織訳
『源氏物語』に憧れた女の一生

「おれはミサイル」「海原の用心棒」秋山瑞人の文庫未収録作品を紹介

本ページはプロモーションが含まれています


ライトノベルの軛から解き放たれた秋山瑞人作品

先日の『龍盤七朝 DRAGONBUSTER 02』で秋山瑞人(あきやまみずひと)の全6作14冊の作品レビューを終えた。しかし、秋山瑞人には文庫に収録されていない作品が二つある。本日この二作についてご紹介したい。

秋山瑞人はこれまで、ライトノベルレーベル(電撃文庫)にしか作品を提供していなかったが、以下の二作はいずれも早川書房の「SFマガジン」誌に掲載されたものである。こちらではライトノベルの制約(美少女や美女、いたいけな少年が登場する必要)を受けていない、本来の?秋山瑞人の世界を堪能することが出来る。もちろんいつもの「秋山節」は健在なので、その点はご安心を。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

秋山瑞人作品を読み尽くしてしまって、秋山作品に飢えている人。ライトノベルレーベル以外での秋山瑞人の活動を知りたい方。ゼロ年代の国内エスエフの雰囲気を感じ取りたい方。AIや人工知能に興味がある方におススメ。

ここからネタバレ

「おれはミサイル」

「SFマガジン」2002年2月号、5月号に掲載されていた作品をまとめたもの。2003年度の星雲賞日本短編部門受賞作。60頁程度の短編小説である。

単著化されていないが、2010年刊行の早川書房、ハヤカワ文庫『ゼロ年代SF傑作選』に収録されている。

また、2011年刊行の集英社『戦争×文学イマジネーションの戦争』にも収録されている。しかし、この作家ラインナップはすごいね。

 

あらすじ

いつともしれない昔から、「高々度十七空」と名付けられた空を、戦うために延々と飛び続ける「私」。ミサイル搭載機である「私」は、自身に取り付けられているミサイル群たちと、意思疎通が出来ることを知る。ミサイルたちとの束の間の交流。しかし、兵器である「私」は敵を倒すためにミサイルを撃たなくてはならなかった……。

AIの支配する戦場

完全に自動化された戦場。この世界の人類は既に滅びてしまったのか、本作中ではまったく登場しない。戦うのはAIに操作された機械兵器のみである。誰が始めたのか、何故戦うのか、もう原因すら定かでない戦争。だが、戦いこそがAIたちの日常なのである。

「私」に装備されているミサイル群のうち、「01」はかれこれ75年もの間発射されることなかったミサイルだ。「01」は経年劣化のため発射することができず「私」から離れることが出来ない。どことなく、井伏鱒二の山椒魚と蛙を想起させられる関係性である。

「私」は敵を倒すことを強いられてはいるが、生き残ることが第一任務。一方の「01」はいかに効率よく的に命中し美しく散華することが至上の目的となっている。相反する目的を持った二人の呉越同舟が楽しい。一方で、あまりに長い間戦い続けてきたが故の生への諦観も垣間見えて、短いながらも噛み応えのある作品に仕上がっている。

「海原の用心棒」

初出は「SFマガジン」2003年12月号、2004年4月号、6月号。三回にわたって連載されていた作品をまとめたもの。100頁余りの中編作品である。

同様に本作も単著化されていないが、2014年刊行の早川書房、ハヤカワ文庫『SFマガジン700国内篇』に収録されている。こちらは「SFマガジン」の創刊700号を記念したアンソロジーだが、他の収録作家が、手塚治虫、平井和正、伊藤典夫、松本零士、筒井康隆、鈴木いずみ、貴志裕介、神林長平、吾妻ひでお、野尻抱介、桜坂洋、円城塔と凄すぎる顔ぶれなのである。

あらすじ

若きクジラ、疾眼(スピードアイ)は、巨大な4頭の岩鯨に出会い、多くの仲間を殺される。自身も絶体絶命の危機に陥ったその時、別の岩鯨に救われ九死に一生を得る。血嵐(レッドレイン)と名付けられた岩鯨と疾眼は、いつしか行動を共にするようになる。闘いの日々は続くが、やがて別れの時が訪れる。

鯨とAI(潜水艦)の奇妙な友情

本作は老いた疾眼の回想形式で語られる物語だ。岩鯨の正体は、人類の残したAIが動かす潜水艦群であり、「おれはミサイル」と近しい世界観であることが想像できる。意思疎通の出来ないクジラとAI(潜水艦)が、いつしか心を通わせ強大な敵を倒す。人類亡き世界で、知性を持つクジラたちが、様々な苦難を乗り越えながら世界に満ちていく。

この物語では潜水艦同士の戦いを、知性を持ったクジラ側の視点から描いている。ひとつの知的文明の在りようを、別の知的生命体の目線で読み解いていく試みが、滅びゆくものへの哀悼の思いを強くさせる。『猫の地球儀』でも思ったけど、秋山瑞人作品はこういう「人ならぬものの視点」の使い方が抜群に上手い。

AIの戦場、バディモノとしての魅力

「おれはミサイル」と「海原の用心棒」は同じ世界観をベースにした物語であると読み取れるが、他にも三つ共通する要素がある。

一つは「AIたちの戦い」を描いている点。どちらも人類は不在の物語である。

二つ目は「バディもの」であるという点だろうか。しかも戦闘機AIとミサイル、潜水艦AIとクジラの異種「バディもの」なのである。全く異なるメンタリティを持つもの同士が、共通の利害のために心を通わせ戦う姿は、エスエフ作品ならではの楽しさと言えるだろう。

そして三つ目は、全編に漂う死の気配だろうか。「おれはミサイル」ではミサイルの「01」が、「海原の用心棒」ではレッドレインが語り手たちよりも先に死を迎える。しかし残されたものたちもまた、いずれ来るべき死を予感しているのである。

単著刊行はいつになる? 

この二作は良作でありながらも、秋山瑞人単独の書籍として刊行されていないため、その知名度は今ひとつである。もっと多くの方に読んで頂きたい!

二作の掲載誌である「SFマガジン」を刊行している早川書房としても、その思いは同じであろう(出せばきっと売れるのに!)。

しかしながら、単著として出すには頁数が足りないのだ。二作足しても200頁に届かない。せめて、あと一作書いてくれればというところだが、この作家にそれを望むことがどれだけ難しいか……。本当に秋山瑞人はもったいない作家である。

秋山瑞人作品の全作紹介記事はこちらから