本屋大賞で第3位&直木賞候補作
2021年刊行作品。講談社の小説誌「小説現代」に2020年~2021年にかけて掲載されていた作品を単行本化したもの。BL作品の書き手として知られていた、一穂(いちほ)ミチが、2016年の『きょうの日はさようなら』に続いて、一般層向けに上梓したのが本作『スモールワールズ』だ。
『スモールワールズ』は、2022年の本屋大賞で第3位にランクイン。また、第165回直木賞の候補作(選外に終わり、受賞したのは佐藤究の『テスカトリポカ』と澤田瞳子の『星落ちて、なお』)となり、更に第43回吉川英治文学新人賞を獲得。一穂ミチの代表作となった。
講談社による紹介ページはこちら。本編未収録の特別掌編「回転晩餐会」も収録されているので未読の方は是非チェック!
講談社文庫版は2023年に登場。新たに辻村深月による解説が巻末に収録されている。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
さまざまな家族の在り方について考えてみたい方。家族の繋がりをテーマとした小説作品を読んでみたい方。本屋大賞の上位入選作で、直木賞の候補ともなった話題の作品が気になる方。一穂ミチの作品に興味がある方におススメ!
あらすじ
不妊に悩む女が、父親から虐待を受けている少年に出会う(ネオンテトラ)。訳アリの弟と、婚家から出戻って来た姉の物語(魔王の帰還)。娘夫婦に生まれた待望の孫をめぐる因果のお話(ピクニック)。実兄を殺害した男との文通を続ける女(花うた)。人生を諦めていた男の前に、離別した娘が戻ってきて(愛を適量)。「後輩」の父親の葬儀に参列した男が知る真実(式日)。六編を収録した珠玉の短編集。
以下、各編ごとにコメント。
ここからネタバレ
ネオンテトラ
初出は「小説現代」2020年6・7月合併号。
美和と貴史の夫婦には子どもがいない。不妊に悩む美和のところへは、姉の娘、有紗がたびたび遊びに来る。ある日、美和は、有紗の同級生、笙一郎が父親からDVを受けているところに遭遇する。そこから美和と笙一郎の奇妙な交流が始まるのだが……。
まずは登場人物一覧。
- 美和(みわ):主人公。モデル。不妊に悩んでいる
- 貴史(たかし):美和の夫。広告代理店勤務。愛人がいる
- 有紗(ありさ):美和の姉の子。中学生
- 蓮沼笙一(はすぬましょういち):有紗の同級生
美和と笙一郎に禁断の関係が始まるのかと思わせておいて、思いもよらぬブラックな展開。熱帯魚のネオンテトラの生態についてはWikipedia先生を参照のこと。
有紗と笙一郎、留守中の美和宅で密会を続けていた。自分には妊娠する能力がないと悟った美和が考えたのは、有紗と笙一郎の間に子供を産ませて、それを自分で育てることだった。
ネオンテトラは繁殖させるためには別の水槽を用意してやる必要がある。美和のマンションは、有紗と笙一郎のための「水槽」として使われた。美和が興味を持っているのは生まれた子どもだけで、その親に関心はない。ネオンテトラ同様に、打ち捨てられるのは有紗と笙一郎だ。中学生の有紗が赤子を育てられるわけもなく、その子は、結局美和が母親として育てることになる。
魔王の帰還
初出は「小説現代」2020年10月号。
高校球児として期待されながら暴力事件を起こして退学。転校を余儀なくされた鉄二のところへ、結婚して家を出ていた姉、真央が出戻ってくる。身長188センチ。職業トラック運転手。男勝りの性格で知られた真央の里帰りは、鉄二の周囲に波乱を巻き起こす。
登場人物
- 森山鉄二(もりやまてつじ):高校生。元野球部
- 真央(まお):鉄二の姉。トラック運転手
- 住谷菜々子(すみたにななこ):鉄二の同級生
- 勇(いさむ):真央の夫
真央(まお)→魔王ということで、幼いころから粗暴な言動で知られた、主人公の姉のキャラクターが光る一作。真央は何故、出戻ってきたのか。破天荒な姉の言動に巻き込まれていくうちに、くすぶっていた弟の人生がリスタートしていく展開が爽やか。
なお、「魔王の帰還」には、嵐山のりによるコミカライズ版が存在する。
ピクニック
初出は「小説現代」2020年11月号。
希和子の娘夫妻、瑛里子と裕之の間に待望の第一子、未希が生まれた。しかし早々に裕之が単身赴任に。瑛里子は、未希の子育てに行き詰り、次第にストレスを募らせていく。少しでも娘を楽にしたいと、希和子は未希の育児を手伝うことになるのだが……。
登場人物一覧。
- 希和子(きわこ):瑛里子の母
- 瑛里子(えりこ):希和子の娘
- 裕之(ひろゆき):瑛里子の夫
- 未希(みき):瑛里子と裕之の間に生まれた娘
繰り返される家族の悲劇の物語。乳児のうちに死亡していた希和子の第二子(瑛里子の妹)、真希(まき)が語り手という意外なオチに驚く。事件は何も解決しておらず、そう遠くない将来に、再び惨劇は繰り返されそうな不気味な余韻を残して物語は終わる。
花うた
初出は「小説現代」2020年12月号。
看護師の新堂深雪は、実兄を、向井秋生に殺害されている。弁護士の勧めもあり、深雪は服役中の秋生に手紙を出すことになる。繰り返されるふたりの手紙でのやり取り。次第に秋生に心を許していく深雪だったが、刑務所では思わぬ事態が発生して……。
登場人物一覧。
- 新堂深雪(しんどうみゆき):主人公。看護師。後に秋生と結婚
- 向井秋生(むかいあきお):主人公の兄を殺害し服役中
- 伊佐大樹(いさたいき):弁護士
- 伊佐利樹(いさとしき):弁護士。大樹の子
往復書簡方式で描かれた作品。最初は、未熟だった秋生の手紙が、深雪との交流を経て次第に、まっとうな文章になっていく。しかし、刑務所内での事故をきっかけにそれが一変する。これは、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を彷彿とさせるスタイルだ。
「小さなかけらが足りないだけでダメになるもの」がある。次第に罪と向き合い、自分に何が欠けていたのかを自覚していく秋生。ただ、個人的には、あくまでも元の秋生のままで罪を背負って欲しかった気持ちもある。
愛を適量
初出は「小説現代」2021年1月号。
部活の指導で問題を起こし、現在はやる気のない50代教師。妻子とも別れ、孤独な日々を過ごしていた須崎慎悟の前に、15年振りに娘の佳澄が、男の姿で現れる。トランスジェンダーとなった佳澄との、束の間の親子ごっこ。慎悟の生活に潤いが戻りはじめる。
登場人物一覧。
- 須崎慎悟(すざきしんご):高校教師。
- 佳澄(かすみ・よしずみ):慎悟の娘だが、性同一性障害
須崎慎悟は愛情の「適量」がわからない。これはと思った対象には過剰なまでの愛を注いでしまい、結果としてダメにしてしまう。ずっと会っていなかった娘が、久しぶりに現れたと思ったら男になっていた。衝撃的な事態を前にして、これまで出しどころを失っていた、慎悟の愛情が復活を遂げる。「愛情には適量じゃなくてもいい時もある」というのは、なかなかに至言。
式日
初出は「小説現代」2021年3月号。
父親の葬儀に来て欲しい。高校の後輩からの電話で、主人公は葬儀への参列を決める。飛び降り自殺した父親の葬儀。参列者はふたりだけ。火葬を待つ間、彼らの間にさまざまな想いが駆け抜ける。
登場人物一覧。
- 先輩:主人公
- 後輩:主人公の高校の後輩
登場人物の名前なし。主人公は定時制の高校に通っていて、全日制に通っていた後輩とは教室の席を共有していた間柄(定時制と全日制、両方ある高校では教室が時間差で共有されることが多い)。先輩の性別は明らかにされていないのだが、どちらとも取れるような書き方。
後輩の父親は飲んだくれのアル中野郎で、その死を悼むものは誰もいない。一方の主人公には両親がなく、施設出身という設定。家族の愛情に恵まれずに育った二人が、もっと親密になれそうなのに、微妙に「傷つかない」距離感を保つ。
最後に「今度のボタンは自分が押す」と一歩前に踏み込むことを決めた主人公だが、後輩のその後を知っている読み手としては、なんともやりきれない気持ちにさせられる。
歪な家族(スモールワールズ)のすがた
『スモールワールズ』には六編の物語が収録されている。いずれの作品も歪な家族のつながりを描いた作品であることが特徴的だ。まとめてみよう。
- ネオンテトラ:美和と有紗(叔母と姪)、美和と貴史(夫婦)、笙一と父親(親子)
- 魔王:鉄二と真央(姉弟)、真央と勇(夫婦)
- ピクニック:希和子と瑛里子(親子)
- 花うた:深雪と秋生(夫婦)、深雪と兄(兄妹)
- 愛を適量:慎悟と佳澄(親子)
- 式日:笙一と父親(親子)
家族の在り方は人それぞれで、一つとして他と同じものはない。まさに一つの「小さな世界」であると言って良く、タイトルの『スモールワールズ』にはそんな意味が込められているのだろう。
ゆるやかに繋がる物語
『スモールワールズ』に収録されている各編は、一読するとそれぞれの話に関係性は無いように思える。が、「式日」終盤のネオンテトラの話が出てくるところで、第一話の「ネオンテトラ」と内容が繋がり、後輩の正体が蓮沼笙一であることがわかる。この作品に収録されている物語は、ゆるいつながりで関連しているのだ。
各編にちりばめられている「つながり」は、こんな感じ。
- ネオンテトラ:最後に登場する大型トラックの運転手が「魔王」の真央
- 魔王:最後に言及される生後十ヵ月の赤ちゃん死亡は「ピクニック」の未希
- ピクニック:登場するベテランの弁護士が、おそらく「花うた」の伊佐大樹
- 花うた:不明?ひょっとして看護師(佳澄)関連?
- 愛を適量:不明?
- 式日:後輩の正体が「ネオンテトラ」の蓮沼笙一
花うた⇒愛を適量⇒式日のつながりが、いまひとつ見えていないが、だいたいにおいて、次のエピソードに繋がるような人物が作中に配置されていることがわかる。
タイトルの『スモールワールズ』には、いわゆる「六次の隔たり(6人を介することで世界中の誰とでもつながりがある)」という意味も、込められているのではないだろうか。作品の収録数が「6」であることからも、これは狙ってやっていそうに思えるのだ。
人間関係のネットワークにおいて、知り合いを数人程度たどれば、世界の誰とでもつながりがあるという仮説。1967年、米国の社会心理学者ミルグラムが実験を行い、知り合いの知り合いを繰り返し辿って行くと、6人目でほぼ世界中の誰とでもつながるという「六次の隔たり」という現象が見られることを発表した。スモールワールドネットワーク。
特別掌編「回転晩餐会」
最後に、作品ホームページに掲載されている特別掌編「回転晩餐会」についても、ちょっとだけ感想を載せておく。
回転展望レストランの支配人を務める主人公は、毎年必ず夏の終わりに現れる、一組の男女に心を寄せていた。四十年を経たその年、レストランに現れたのは女性ひとりだけだった。そこで知らされる、意外な真実とは……。
15階にある回転レストランと言えば、東京交通会館の銀座スカイラウンジだが、この店がモデルになっているのだろうか(老朽化のため現在は回転していない)?
この掌編でも少し変わった家族のかたち(一日だけの夫婦)が描かれている。
作者コメントによると「「スモールワールズ」に出てくる話との関連はありません」とのこと。