『負けヒロインが多すぎる!』シリーズの二冊目
2021年11月刊行作品。雨森(あまもり)たきびによる『負けヒロインが多すぎる!』シリーズの第二作。第一巻の刊行が2021年の7月なので僅か四カ月での新作だ。わたし的にライトノベルを常時読まなくなって久しいが、そういえばこの業界はこれくらい刊行ペースが速いのであった。いやはや大変な業界だよね。
表紙絵、口絵、及び本文中のイラストは、マンガ家、イラストレータ、いみぎむるによるもの。
あらすじ
綾野光希は、同級生の朝雲千早とつき合い始めた。陸上部のエース焼塩檸檬は幼馴染の綾野光希への想いを断ち切れずにいる。そんなある日、温水和彦と八奈見杏菜は、焼塩と綾野のデートシーンを目撃してしまう。これは浮気なのか?略奪愛なのか?温水らは、成り行きから彼らとグループで出かける羽目になってしまう。しかし、そこで決定的な大事件が発生して……。
ここからネタバレ
失恋しても人生は続く
成就した恋愛がめでたしめでたしで終わらないように、破れた恋もただそれだけでは終わらない。心を震わせる一大イベントのあとも、容赦なく人生という名の日常は続いていく。失恋は辛い体験だ。ましてや意中の相手や恋仇と、「その後」も顔を合わせ続けなければならない関係は特に辛いものになる。学生時代、逃げ場のない学校という枠に囚われる十代の頃の失恋はこのパターンになりがちで、よりメンタルへのダメージが重くなる。
時として恋愛はタイミングが10割
陸上部のエースで誰からも愛される元気少女焼塩檸檬(やきしおれもん)と、成績優秀な文化系男子綾野光希(あやのみつき)。二人は小学校時代からの幼馴染だ。綾野は中学時代から焼塩に対して仄かな思いを抱いていたが、それを口にすることはなかった。一方の焼塩は自分の気持ちにずっと気付くことができなかった。そして高校に入り、綾野と塾が同じの同級生、朝雲千早(あさぐもちはや)が猛烈なアタックをかけ、その心を射止める。ここで、初めて焼塩は自らの恋心を自覚し、初めての失恋を体験する。
恋愛は時としてタイミングがその成就を大きく左右することがある。おそらく少し違った形で運命の歯車が回っていたら、焼塩と綾野は、自然な形でカップルになっていたかもしれない。
綾野と朝雲千早の関係は日々進展しているし、もう時間は元には戻せない。あの頃の関係には帰れない。そう考えた焼塩の選択は、自分の気持ちに決着をつけることだった。思いのたけを綾野にすべて伝えて、きちんと振られる。焼塩らしいド直球の選択だと思うな。
勝者のジレンマ
第二巻、焼塩檸檬編の良いところは、恋の勝者である朝雲千早にもスポットが当たっている点だ。猛アタックで綾野をゲットしたものの、綾野は小学校時代から仲の良い焼塩が居る。はたから見れば焼塩は綾野に気があるようにしか見えない。ふたりの間には自分にはない積み上げた時間がある。そして、スペック的にもおそらくは焼塩の方が上だ。綾野が依然として焼塩との関係に線を引かないから、朝雲的には相当な焦りとストレスがあったはず。
朝雲千早のこの巻での立ち振る舞いは、あざとくはあるが、意中の相手を逃がさないための行動として理解はできる(GPSはやりすぎだと思うが)。時として「悪い子」として開き直れるかどうかが恋愛の成否の分かれ目になることがある。たとえ他の人間を傷つけたとしても、自分が欲しいものは何が何でも譲らない。この強さがあるかどうかが、勝者と敗者を分けた。
ぬっくんの絶妙な距離感
『負けヒロインが多すぎる!』シリーズを通じて、特に際立つのが、主人公温水和彦(ぬくみずかずひこ)の他者との距離感だ。温水はぼっちキャラで、自己評価も高くない。だが温水は友人がおらず孤独であることを、まったく苦にしておらず、親しい友人が特に居なくても心の安定が保てるタイプ。孤独を嬉々として積極的に楽しめるキャラクターだ。だが、かといって、他者とのコミュニケーションがまったくできないわけでもなく、自己評価の低さとは裏腹、意外に周囲からの(特に男子)の評価はまんざらでもなかったりする。
人との間に適度な距離感を保って生きてきた温水だが、前巻の八奈見杏菜の一件以来、他者の内面に踏み込まざるを得ないシチュエーションが増えてくる。が、友人としての優しさは見せるが、あくまでも友人の域にとどまり一線は越えない。いまのところ、彼の内面に恋愛感情は芽生えていないようにも思え、それだからこそ信頼を勝ち得ている雰囲気も感じる。人と関わらずに生きてきて、それで何の問題もないと思ってきた温水が、この先どう変わっていくのか楽しみではある。
八奈見杏菜から見た焼塩檸檬
幼馴染の意中の男子を後から出てきた女に横獲りされる。焼塩と綾野の関係は、八奈見杏菜(やなみあんな)と袴田草介(はかまだそうすけ)の関係に酷似している。焼塩も八奈見も、クラスの人気者でスクールカーストも上位。同じ文芸部に入り、親しく会話する間柄になっただけに、焼塩と綾野の関係性の進展を、八奈見は強い関心を持って見守っていたはずだ。
焼塩と綾野のデートを目撃した時の八奈見の「う゛わ゛き゛た゛よ゛!!!」リアクションがアニメ版は、本当に素晴らしかったので動画を貼っておく。これ公式動画なのが最高。みなさん、よくわかってらっしゃる。
焼塩のお婆さん宅での、深夜の温水と八奈見の会話のシーンが良い。「付き合っちゃえばいいじゃん」というのは、自らの想いを焼塩に投影した八奈見の本音だろう。焼塩の恋愛を追いながら、メインヒロイン(だよね)である八奈見の心情を、さりげなく深掘りしていくあたりは巧い。