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エドワード・ゴーリーの邦訳全作をご紹介!


邦訳されているゴーリー作品を全て紹介!

エドワード・ゴーリー(Edward Gorey)は1925年生まれ。アメリカ人絵本作家である。2000年に亡くなられている。

彼の作風についてはWikipedia先生から引用させて頂こう。

絵本という体裁でありながら、道徳や倫理観を冷徹に押しやったナンセンスな、あるいは残酷で不条理に満ちた世界観と、徹底して韻を踏んだ言語表現で醸し出される深い寓意性、そしてごく細い線で執拗に描かれたモノクロームの質感のイラストにおける高い芸術性が、「大人のための絵本」として世界各国で熱心な称賛と支持を受けている。

エドワード・ゴーリー - Wikipediaより

ゴーリーは1953年にデビューしているが、定常的に邦訳版が刊行されるようになったのは2000年になってからと少し間が空いている。シニカルで不道徳な作風は、読み手を選ぶ側面もあるが、日本国内でも多くのファンを獲得。2021年5月時点で23作もの邦訳版が登場している。本日はこの23作品についてご紹介していきたい。

なお、紹介順は、日本国内での発売順である。

『ギャシュリークラムのちびっ子たち』

2000年刊行作品。日本国内で初めて刊行されたエドワード・ゴーリー作品である。オリジナルの米国版は1963年刊行。原題は『The Gashlycrumb Tinies: or After the Outing』。

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

内容はこんな感じ

物語ではないので、あらすじはナシ。

26人のちびっ子たちが、さまざまな理由でアルファベットの綴り順に命を落としていく、いかにもゴーリーらしいブラックユーモアが効いた一作。

ゴーリー作品の主要カテゴリであるアルファベットブックの一冊でもある。

不条理の中にあるユーモア

階段から落ちるエイミー(Amy)、熊にやられるベイジル(Basil)、ヒルに吸血されるファニー(Fanny)や絨毯の下敷きになるジョージ(George)、このあたりはまだまだカワイイ方で、後半になると不条理さ、非情さがエスカレートしていく。可愛らしい絵柄と、あまりに突然に訪れる悲惨な運命。いかにもゴーリーらしいギャップが本作の魅力の一つである

訳者の柴田元幸は、ゴーリーの原詩をブラックユーモアたっぷりに日本語化しており、作品の不条理さをよく引き立てている。

『うろんな客』

2000年刊行作品。日本国内で刊行された二冊目のゴーリー作品である。オリジナルの米国版は1957年に刊行。原題は『The Doubtful Guest』。

うろんな客

あらすじ

冬の嵐の晩。玄関の呼び鈴が鳴る。とある屋敷に突如として現れたのは謎の生きもの。パンをお皿ごとたべてしまう、蓄音機のラッパをもぎ取り、本を破き、絵を傾け、扉の前で横たわり邪魔をする……。すっかり家に居ついてしまった彼?は傍若無人なふるまいで、家族たちを困惑させる。

うろんちゃんがかわいい!

黒い体に尖った口。二足歩行。ストライプのマフラー。ゴーリー作品の全キャラクターの中で、もっとも高い知名度を誇り、もっとも愛されているのではないかと思われるのが本作に登場する「うろんちゃん」である。

巻末の訳者解説では、アリソン・ビショップ(ルーリー)の考察を挙げ、「うろんちゃん」の正体は「子供」の暗示なのではないかとしている。勝手にやって来て居つく。モノを壊す。言うことを聞かない。どこかに行ったと思ったら思いもよらぬ場所で眠っている。これは、ゴーリー最愛の生き物「ネコ」の属性に他ならないと思うのだがいかがだろうか?

『題のない本』

2000年刊行作品。日本国内で刊行された三冊目のゴーリー作品である。オリジナルの米国版は1971年に刊行。原題は『The Untitled Book』。

題のない本

内容はこんな感じ

物語ではないので、あらすじはナシ。

書籍の見返しには「固定カメラでとらえた画面の中で繰り広げられる激しくシュールな世界」とある。一幕ものとでも言うべきか?どこかの家の庭で起きた出来事を、画面切り替えなしで見せていくスタイルである。

不思議な生きものたちの饗宴

画面右には無表情な男性がひとり。この家の庭に奇妙な生きものたちが、入れ替わり立ち代わり登場しては消えていく。 台詞や状況説明的なテキストはなく。奇妙な生きものたちが発しているのか?「おくしほりっく;」「ふらぴてぃ ふりぴてぃ、」といった謎めいたオノマトペだけが綴られていく。個人的には「せぁらげいしゃむ;」が好き。

画面固定で描かれているので、パラパラマンガ的にページをめくって見ても楽しく読めるだろう。

まともな台詞が無いので、お馴染みの柴田元幸の解説が入っていない。翻訳が発生しないタイプのゴーリー作品は柴田元幸の解説が入らないのだが、ファンとしてはちょっと寂しい。ゴーリー作品の邦訳版は柴田元幸も重要な要素の一つなのに……。

『優雅に叱責する自転車』

2000年刊行作品。邦訳されたゴーリー作品としては四作目。オリジナルの米国版は1969年の刊行で、原題は『The Epipletic Bicycle』である。

優雅に叱責する自転車

あらすじ

火曜日の翌日、水曜日の前日。エンブリーとユーバートきょうだいの前に、誰も乗っていない自転車が転がり出て来た。ふしぎな自転車に乗って旅に出たふたりの前に、さまざまな不思議が訪れる。大きな鳥、カブ畑、嵐、そして巨大なワニ。冒険を終えて、家に戻ってきた二人を待っていたのは意外な結末だった。

ナンセンス系のゴーリー作品

冒頭の「火曜日の翌日、水曜日の前日」からして何なの?という感じだし、ストーリーらしいストーリーもない。

章の構成も、プロローグ→第1章→第2章→第4章→第7章→第11章→第12章→第15章→第19章→第22章(最終章)と歯抜け状態になっており、落丁なのか?と読んでいて不安な気持ちになってくる。

そもそもテキストと絵の意味が合致していないことすらあり、真面目に解釈しようとすると思いっきりハシゴを外される作品である。ゴーリーならではのナンセンス文学として、不条理を思いっきり楽しむつもりで読みたい一冊だ。

なお、本文中で言及されるが描写されていない「エンブリーの14足の黄色い靴」は表紙と背表紙に。ユーバートの「まだらの毛皮のチョッキ」は裏表紙に登場している(鳥がチョッキを着ている)。

『不幸な子供』

2001年刊行作品。原題は『The Hapless Child』。オリジナルの米国版はニューヨークの出版社、イヴァン・オボレンスキー社から1961年に刊行されている。

不幸な子供

あらすじ

シャーロット・ソフィアは裕福な家庭に生まれ、優しい両親の下、幸せな毎日を過ごしていた。しかし軍人の父親が出征先のアフリカで死亡。その報せを聞いた母親は病に倒れ息を引き取る。一人残されたソフィアは、一族の弁護士によって寄宿舎に入れられる。不幸な少女が最後に行きついた先は……

暗転し続ける運命の歯車

何一つ不自由なく育ってきた可憐な少女が、運命のいたずらから、坂道を転げ落ちるように不幸になっていく。

富裕な家庭に生まれた少年少女が、両親を失ったことから過酷な運命に見舞われ、艱難辛苦を乗り越えながら最後には幸せになる。世界名作全集にあるような「孤児モノ」の定番的な展開だが、ゴーリーに書かせるともちろんそのようなハッピーなラストにはならない。読み手を選ぶ作品である。

『蒼い時』

2001年刊行作品。原題はフランス語になっていて『L’Heure bleue』。日本の感覚ではあまりないかもしれないが、欧米圏では「黄昏どき」を意味する言葉である。

オリジナルの米国版は1975年に登場している。

蒼い時

あらすじ

物語ではないので、あらすじはナシ。

蒼いゴーリー本

表紙の見返しに、「旅嫌いのゴーリーが、唯一遠出したというスコットランド旅行での思い出を二匹の犬に託して語る 摩訶不思議な物語」とある。

しかし、スコットランドを想起させるような描写は少ない(わたしが読み取れないだけかもしれないが)。書かれているテキストもゴーリーならではの意味を解しかねる内容で、受け取り方は読み手にとってさまざまであろう。この作品から、無理に人生訓を見出そうとしなくて良いのだと思う。

黄昏時は昼でも夜でもない不思議な時間帯だ。出来うるなら、本作は黄昏時の自然光の中で読んでみたい一冊である。

蒼い時

蒼い時

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『華々しき鼻血』

2001年刊行作品。オリジナルの米国版『The Glorious Nosebleed』は1975年に刊行されている。ゴーリーお得意のアルファベットブックの一つだが、本作は「副詞」をテーマにした内容となっており単語のABC順には配列されていない。

華々しき鼻血

あらすじ

物語ではないので、あらすじはナシ。

不思議な副詞の世界

本作では「まがまがしく」「あてどなく」「ぞんざいに」「とめどなく」「くらくらと」といった副詞を用いて、さまざまな場面が描かれる。細部まで執拗に描き込まれたゴーリーならではのペンタッチ。極限まで削ぎ落とされたテキストから、その情景の中から何を読み取るは全て読み手に委ねられている。

例えば、表紙のイラストでは、鼻を押さえて倒れた男と、そっぽを向く二人の男が描かれている。全く何が何だかわからない情景だが、どんな含意が込められているのか。どんな物語が隠されているのか。それを読み解いていくのがまた楽しい。

『敬虔な幼子』

2002年刊行作品。オリジナルの米国版は『The Hapless Child』。1965年にレジーラ・ダウディ(Regera Dowdy)名義で雑誌『エヴァグリーン・レヴュー』に掲載されたのが初出。レジーラ・ダウディ(Regera Dowdy)はもちろんエドワード・ゴーリー(Edward Gorey)のアナグラムである。

敬虔な幼子

あらすじ

ヘンリー・クランプは三歳にして神の愛を知る。あまりに純粋で清らな魂を持つヘンリー坊やは、家族を愛し、毎夜祈り、己の罪を悔い改め、時に不信心者たちを戒める。敬虔な幼子が短い生涯を信仰に捧げ、やがて神の下へと召されていくまでを描く。

ゴーリーでなければ良い話?

ヘンリー坊やのビジュアルはキュートで毒気がなく、特に何の事前知識もなく読めば、素直にシンミリして終わりそうな気もする作品である。

ただし、これがゴーリー作品でなければ。である。解説の柴田元幸が指摘しているように、ヘンリー坊やの言動は幼子としては、「やり過ぎ」の感が強いのである。癇癪持ちの妹が神の国に行けるように祈ったり、神への不適当な言説を黒く塗りつぶしたり、不信心者たちへを戒めるありさまは「幼子」の行いとしては、ありえないように思える

純粋な信仰心が故の生真面目な行動や、道徳的な行為を揶揄しているのではないか。そんな風にも思えてしまうのだが、これはゴーリー読者だからこそのうがった見方なのだろうか。

『ウエスト・ウイング』

2002年刊行作品。オリジナルの米国版は『The West Wing』。1963年に刊行されている。

ウエスト・ウイング

あらすじ

ここは西棟(ウェストウイング)。書かれている文字はそれだけ。暗い室内。暗い表情の登場人物たち。脱ぎ散らかされた靴。奇妙な絵。そして窓に映る「なにか」。見る者の想像力にすべてが委ねられた、恐怖を喚起する一冊。

台詞なし、説明なし

出てくる文字は冒頭の「THE WEST WING」のみ。執拗なまでに精緻な筆致で描かれていく洋館の内部。鬱々とした表情の登場人物たち。陰隠滅滅とした描写が続き、後半になると幽霊のような存在も登場する。いかにもなゴシックホラー風の描写に、読む側の恐怖感は高まる。

この作品はいかようにでも怖く読むことが出来る作品だが、それは受け取る側の想像力にかかっている。見方によっては面白おかしく読むことさえ出来てしまう。解釈がひととおりでないだけに、何度読んでも楽しめる作品かもしれない。わたしはいつもp12の全裸のオッサンが出てくると吹き出してしまうのだ。

『弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く。』

2003年刊行作品。オリジナルの米国版は『The Unstrung Harp: or Mr. Earbrass Writes a Novel』。1953年に刊行されている。エドワード・ゴーリーのデビュー作である。

弦のないハープ またはイアプラス氏小説を書く。

あらすじ

C(クラヴィウス)・F(フレデリック)・イアブラス氏は高名な小説家である。新作『弦のないハープ』の構想を練るイアブラス氏だが、ストーリーが思いつかず苦悩する。作品が生み出され、完成し、世に出るまで。小説家の葛藤は続く。

創作の苦しみを綴る

デビュー作というだけあって、まだスタイルが確立されていなかったのか、テキスト量が非常に多いのが本作の特徴である。主人公は小説家のイアブラス氏。創作物が生まれるまでの悩ましき日々が描かれている。

アイデアが浮かばない。酷い文しか書けない。何度も書き直しているうちに全く別の物語になってしまう。創作者ならではの自虐と自負。創作をされる方であれば「あるある」と思い当たる部分が多いのではないだろうか。

イアブラス氏の著作としては『倫理のゴミ箱』『クランクより多いチェーン』『ありそうなこと?』<腰までどっぷり>三部作などが紹介されている。どんな話なのかちょっと気になってしまう。

『雑多なアルファベット』

2003年刊行作品。判型は小さめで文庫本サイズ。原題は『The Eclectic Abecedarium』。ゴーリーお得意のアルファベットブックの一つである。オリジナルの米国版は1983年に刊行された限定400部の豆本であったらしい。元が豆本であっただけに、絵のサイズも1.5センチ×2.5センチ程度と極小サイズだ。

雑多なアルファベット

内容はこんな感じ

物語ではないので、あらすじはナシ。

アルファベットのAからZまで。シンプルな二行詩による26の箴言集。イギリス、ヴィクトリア朝時代風の教訓譚が、ゴーリー流に大胆にアレンジされた一作。

ゴーリーならではの教訓集

ヴィクトリアニズムという言葉がある。貞節を重んじ、禁欲的で節制を旨とし、とにかく真面目で勤勉。19世紀イギリスの中産階級にもてはやされた価値観だ。ヴィクトリアニズム的な思想は、世を渡るための箴言集という形で、いくつもの作例が残されている。

本作はそんなヴィクトリア朝時代風の教訓譚を、ゴーリー流にシニカルに裏返してみた一作である。ユーモラスなタッチ。とぼけた教訓の数々。当時の真面目なイギリス人が読んだら、メチャメチャ激怒しそう。

韻を踏んだ原詩の雰囲気を、訳者の柴田元幸がセンス良く日本語化してくれており、本作の魅力を一層引き立ててくれている。

『キャッテ ゴーリー』

2003年刊行作品。原題は『CATEGORY』。オリジナルの米国版は1973年刊行。ゴーリーには珍しいカラー作品である。テキストなし。イラストだけで構成された作品である。

キャッテゴーリー

邦訳版の場合、何度も書くけど、イラストのみの作品だと柴田元幸の解説がつかなくなるのを、河出書房新社は何とかして欲しい。訳者として関わっていないから仕方ないのだとは思うが、作品理解において柴田元幸の解説がつかないのは大きな痛手である。

内容はこんな感じ

物語ではないので、あらすじはナシ。

1から50まで。ナンバリングと共に、さまざま擬人化されたネコの姿が描かれている。

ネコ好きゴーリー!

ゴーリーのネコ好きは有名で、他の作品を読んでいてもネコ愛が伝わってくる。そんなゴーリーが全編ネコに振り切って描いたのが本作である。ずんぐりむっくりとした、お世辞にも優雅とは言えない、愛嬌のあるタイプのネコが登場する。ゴーリー作品は、リアルで写実的なタッチが基本なのだが、本作に登場するネコは擬人化した姿で描かれている。具体的なストーリーはなく、読み取り方は読者に委ねられている。

『まったき動物園』

2004年刊行作品。オリジナルの米国版『The Utter Zoo』は1967年に刊行されている。

AからZまで。アルファベット順に26種の架空の動物たちを紹介していく、ゴーリーの常套パターン、アルファベットブックに属するタイプの作品である。

まったき動物園

内容はこんな感じ

物語ではないので、あらすじはナシ。

ゴーリー版「ざんねんないきもの事典」

格好よくもないし、気高くもない。どちらかというと間が抜けていたり、無様であったりするゴーリーならではの「ざんねんないきもの」たちが愛おしく思えてしまうのは、ファンの欲目だろうか。柴田元幸の文語調で、格調高い訳文とのミスマッチ感も実にいい。

全然関係ないけど、このノリでゴーリー版「クトゥルフ神話の神々」なんてのがあったなら、絶妙に素晴らしい旧支配者たちのビジュアルが見られたのではないかと思うのだけど、いかがだろうか?

『おぞましい二人』

2004年刊行作品。オリジナルの米国版は1967年刊行。原題は『The Loathsome Couple』である。

本作は1965年にイギリスで起きた、ムーアズ(荒野)殺人事件を下敷きとしている。イアン・ブレイディとマイラ・ヒンドリーにより、五人の少年少女が惨殺された、凄惨な事件である。

実際に起きた事件を題材として作品を描くのはゴーリーとしては非常に珍しいケースである。実際の事件から本作の刊行まで二年しか経ていなかったこともあり、当時のアメリカでは大きな批判を受けた。

おぞましい二人

あらすじ

ハロルド・スネドリーと、モナ・グリッチはそれぞれに不幸な子供時代を過ごし、歪んだ精神のまま大人になる。出会った二人は意気投合し、共に暮らすことになる。人里離れた別荘を借りた二人は、長年の計画を実行に移す。それは、凄惨な児童連続殺人のはじまりだった。

否定も肯定もしない

主人公となる「おぞましい二人」を子ども時代から描く。彼らが不幸な生い立ちであるからといって決して同情的に描かれることはない。かといって、史上稀にみる凶悪事件を犯した二人を強く非難するわけでもない。次々と犯罪に手を染めていく二人の姿をゴーリーは淡々と辿っていく。

終始無表情の二人。暗澹たる精神世界を覗き込むかのようで、読む側にも相応の覚悟が求められる。メンタルのコンディションがあまり良くないときは決して読んではいけない作品である。一気に負の領域に読み手のメンタルを持って行かれる。

直接的な虐待や殺害のシーンは描かれないが、描かれないでいるからこそ想像の余地が生まれる。読み手の心にひときわ暗い陰を落とす、重い読後感が残る一作である。

『むしのほん』

2014年刊行作品。オリジナルの米国版『The Bug Book』は1959年に刊行されている。元々は、ファン向けに作られたクリスマスギフト本で、600部限定のホチキス止め作品だった。その後、米国でも1960年にハードカバー本として発売されている。ゴーリーのキャリアの中でも最初期の作品と言えるだろう。ゴーリー作品にしては珍しいカラー作品でもある。

むしのほん

あらすじ

あおいむし、あかいむし、きいろいむし、仲良しの虫たちは遊びに行ったり、遠出したり、パーティを開いたり。楽しい毎日を過ごしていました。そこにやってきたのは誰とも親戚ではない、くろいむしです。仲よくしようとしても、くろいむしとはなかなかわかりあえません。三色のむしたちは果たしてどうしたのでしょうか?

異文化とどう向き合う

カバー絵のかわいさで、子ども向けだと思って購入してしまった親御さんは、内容を知って驚かれた方も多いのではないだろうか(さすがにいないか?)

文化を共有できない、暴力をふるう、コミュニケーションを拒絶する異分子とどう付き合うのか。判りあえないなら殺してしまえばいい。本書で描かれている結末は、あまりに衝撃的である。

ゴーリーらしいシニカルな結末と言えばそれまでだが、人道主義をいくら唱えようとも、この解決法でしか解決できない問題も世の中には多い。残酷とはいえ、世の理の一面の真実を表している作品と言えるだろう。

『蟲の神』

2014年刊行作品。オリジナルの米国版『The Insect God』は1963年に刊行されている。

刊行時は『ギャシュリークラムのちびっ子たち』『ウエスト・ウイング』と合わせた、三冊セットで「The Vinegar Works : Three Volumes of Moral Instruction」と題され販売されていた。

蟲の神

あらすじ

行方不明となったフラストリィ家の幼子ミリセント。子守女がわずかに目を離した隙に、消えてしまったのだ。残された子守女は廃人状態。家族は警察の手も借りて懸命に捜索を行うがその行方は明らかにならない。黒い車に乗った何者かによって拉致されたミリセント。果たして彼女の運命は。

虫がダメな人にはお勧めしない

表紙に思いっきり登場しているので、ダメな方はこの時点で回避されると思うが、いちおう書いておくけど、虫が苦手な人には全くお勧めしない。

親の言いつけを守らなかった子どもたちが酷い目に遭う。これはイギリス、ヴィクトリア朝時代の教訓譚の定型パターンだが、それをゴーリー風に、徹底的に戯画化したのが本作である。

触覚、肘が二つある腕、異形の姿。夕暮れ時、幼子を攫う謎の存在。どこへともなく走り去る不気味な黒い車。モノトーンの世界で、細密に描き込まれた虫たちが蠢いている。ゴーリー作品の中でも悪趣味度合いがかなりキツイ作品なので、特に読み手を選ぶ作品である。

蟲の神

蟲の神

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『憑かれたポットカバー』

2015年刊行作品。原題は『The haunted Tea-cosy』。オリジナルの米国版は1997年の『ニューヨークタイムス・マガジン』に掲載されたものが、1998年に単著として刊行されている。

憑かれたポットカバー: クリスマスのための気落ちした気色悪い気晴らし

チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』のゴーリー風パロディとも言える作品。しかしオリジナルの「いい話」もゴーリーの手にかかると見事なまでに、「気落ちした気色悪い気晴らし」に変貌してしまう。

あらすじ

一風変わった世捨て人として名高いエドマンド・グラヴルは、クリスマス・イブの晩、ポットカバーに取り憑いていた奇妙な生き物「バアハム・バグ」に出会う。グラブルとバアハム・バグは次々と現れる亡霊たちに、胸に迫る情景、胸の痛む情景、胸を裂く情景を見せられる。

ゴーリー晩年の作品

この頃のゴーリーのタッチは従来の細密な筆致は影を潜め、登場人物たちの輪郭線はしっかりとした太い線で描かれ、背景の書き込みも相当に控えめになっている。

突如として現れた巨大な虫「バアハム・バグ」は、グラヴルの元に、ひたすら厄介事を持ち込む。ところがグラブルは、続々と押し寄せる面倒事を迷惑がるでもなく、むしろ事態を楽しんでいるようにも見える。多くの一般人には勘弁してほしいクリスマスの客人だが、ゴーリーファンであればこんな一夜も楽し過ごせるのではないだろうか。

『思い出した訪問』

2017年刊行作品。原題は『THE REMEMBERD VISIT』でわりとそのまんま。オリジナルの米国版は1965年刊行。

思い出した訪問

カバー裏の見返し部分に、思いっきりネタバレが書かれているので、事前情報なしに本作を楽しみたい方は注意が必要である(というか、そういう方はこのページも見ないと思うけど)。

あらすじ

十一歳の夏、ドゥルシラは両親と海外へ旅に出た。とある日、両親の不在時。知人の女性に連れられて訪れた屋敷で、ドゥルシラは一人の老人に出会う。クレイグ氏はかつては高尚で洗練された実績を残した人物だが、現在は静かな隠遁生活を送っている。ドゥルシラはクレイグ氏と一つの約束を交わすのだが……。

全編に漂う死のモチーフ

表紙にも登場する装飾刈込(トピアリー)は、装飾のため刈り込まれた立体的な樹木のこと。刈込には十分な手入れが行き届いておらず、荒廃が進みつつあることが伺える。真っ黒な海、塗り込められた絵画、手足の取れた彫像。不吉なモチーフが全編に散りばめられ、作品に暗い陰を落とす。

老人との約束を果たせなかったドゥルシラが、佇む窓辺に葉の落ちた樹木が見える。死すべき運命からは若い彼女ですらも逃れることが出来ないように思える。

『ずぶぬれの木曜日』

2018年刊行作品。オリジナルの米国版『THE SOPPING THURSDAY』は1970年に刊行されている。元々は、サイン入りの限定本(ハードカバー26部、ペーパーバック300部)として上梓されたが、翌1971年には一般向けの版も刊行されている。

邦訳されたゴーリー本としては本作がちょうど20作目にあたる。

ずぶぬれの木曜日

あらすじ

朝から雨の降っている木曜日。傘を失くした男は家じゅうを探すが見つからない。愛犬のブルーノは、飼い主の傘を探して街へ出る。街には傘を買いたい男。傘を借りに来た男。雨に濡れる男。逢引をする男女。さまざまな人々が、雨の日をそれぞれに過ごしていた。ブルーノは、果たして無事に主の傘を見つけることができるのだろうか。

「白い」ゴーリー作品

カバーデザイン。そして本文。いずれも手に取ってみて驚かされるのはその「白さ」である。ゴーリーは執拗なまでの線描で画面を漆黒に染めて埋めてしまいがちだが、本作に関してはその限りではない。やわらかな雨の線を活かすためだろうか、背景の書き込みは最低限のボリュームに抑えられている。

本作では、雨の日のちょっとした一場面が切り取られている。内容的には、ゴーリー作品中でも珍しいほどにダークな内容が影を潜めており、どうしちゃったの?と突っ込みたくなるほどに良いお話に仕上がっている。ゴーリーを未読の方に勧めるなら、まずはこの一冊かもしれない(その後続くかどうかは定かでないが)。

『失敬な招喚』

2018年刊行作品。オリジナルの米国版は1971年に雑誌「ナショナル・ランプーン」誌に掲載されたのが初出。原題は『THE DISRESPECTFUL SUMMONS』である。

失敬な招喚

本作は単著で発売される以前に、2009年に「不敬な招喚」のタイトルで「ミステリマガジン」誌の2009年11月号に掲載されており、こちらが本邦初公開となっている。

ミステリマガジン 2009年 11月号 [雑誌]

ミステリマガジン 2009年 11月号 [雑誌]

 

ちなみに柴田元幸の解説で言及されているYoutube動画はおそらくこちら。

あらすじ

悪魔を招喚してしまったスクィル嬢が身に付けた怖ろしい力。食べ物を腐らせ、家畜を死なせた彼女は、やがて隣人たちを呪い、死に追いやる。しかし、再び舞い戻った悪魔は、その呪われし力の代償を回収する。たちまちのうちに、奈落に突き落とされたスクィル嬢は、地獄の劫火に焼かれることになる。

ベエルファゾールがかわいい

不条理劇としても読める死。因果応報譚としても読める。悪魔の抱擁は性交渉のメタファーだろうか。悪魔の印もついてるし。

魔力を手にしたスクィル嬢が淡々と隣人を殺害していく。これは悪魔を召喚してしまったが故のことなのか。それとも、もともとスクィル嬢の内面に他者を呪う心があったのか。

漆黒の身体に、角のような突起物、矢印型の尾。ベエルファゾールがかわいい。彼?は「奇怪な鳥」とされているが鳥なのか?使い魔のような存在だろうか。スクィル嬢の地獄行の際にも特に助けてくれるでもなく、「あらら」と見ているだけなのが良い感じである。

『音叉』

2018年刊行作品。原題は『THE TUNING FORK』。オリジナルの米国版は、巻末の解説によれば、1968年雑誌「Status」に掲載されたのが初出ではないかとしている。しかし、この際の原画はゴーリーには返却されず、1987年のゴーリー作品集「Amphigorey」に収録された際には全て描きなおされているのだとか。

音叉

あらすじ

シオーダは家族の誰からも嫌われていいる。世を儚んで海に身を投じたシオーダだったが、彼女は海の底で不思議な生きものに出会う。巨大な怪物に不幸な身の上を語るシオーダ。その日から彼女の家族たちを次々と不幸が襲いはじめる。果たしてその真相は!?そしてそれからのシオーダは? 

勧善懲悪と寂寞感

不幸なシオーダが、海の中で出会った怪物によって助けられる。彼女に酷い仕打ちをした家族が次々と不審な死を遂げる。家族の死に怪物が関与していることは明白だが、シオーダは気にしている様子も見られない。ゴーリーらしい(らしからぬ?)勧善懲悪の物語だが、読後に爽快感はなく。それでいいのかという寂寞感が募る。

タイトルの「音叉」は作中に描かれてはいるものの、ストーリーに影響を与えているように思えず、具体的にどのような意味があるのかは明確には示されない。

音叉を指ではじいた時の張りつめた音を想起してみて頂きたい。静かな世界の中で、音叉の音だけが鳴り響いている。そう思ってこの物語を読むと、いっそう、この作品の寂しさが高まるように思えるのだが、いかがだろうか。

音叉

音叉

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『狂瀾怒濤: あるいは、ブラックドール騒動』

2019年刊行作品。オリジナルの米国版は1987年に登場。原題は『The Raging Tide: Or, The Black Doll's Imbroglio』である。

狂瀾怒濤: あるいは、ブラックドール騒動

あらすじ

毛むくじゃらのスクランプ(Scrump)。テルテル坊主のようなナイーラー(Naeelah)。漆黒の身体を持つフィグバッシュ(Figbash)。鍋を被ったフーグリブー(Hooglyboo)。不思議な生きものたちが繰り広げる、奇妙な戦い。果たしてその結果は?

まさかのゲームブック形式!

テキストには〇〇な人は××へ。▽▽な人は◇◇へと。と、読み進むべきページが示され、選択肢によって物語の展開が異なる。そう。本書は昔懐かしのゲームブック方式を取っているのである。

表紙の見返しには「最も優れた「早く続きを読みたくなる本」に挑戦した一冊」とあるのだが、ゴーリー作品なので決して真に受けてはいけない。どの選択肢を選んでも特に大きなストーリーの違いがあるわけではない。延々と不毛な戦いが繰り広げられるのみみである(だがそれが良い!)。

スクランプ、ナイーラー、フィグバッシュ、フーグリブーがとにかく愛らしく。ゴーリー的なシュールな生きものを愛する読者にとっては至福の一冊ではないかと思われる。

『金箔のコウモリ』

2020年刊行作品。ゴーリー没後二十年に刊行された邦訳本である。

オリジナルの米国版は雑誌「バレエ・レビュー」に連載されていた作品で、1966年に刊行。原題は「The Gilded Bat」。表紙絵にある「La Chauve-Souris Doree」は「The Gilded Bat」のフランス語訳ということになる。

金箔のコウモリ

あらすじ

かつてマリンスキー・バレエ団で最高位のプリマバレリーナであったマダム・トレピドヴスカは、幼い少女モーディーに才能の片鱗を感じ弟子にする。長じて、ミレッラ・スプラトヴァを名乗った彼女は、バレリーナとして大成し、世界的な脚光を浴びる。華やかな世界と、平凡な日常。栄華を極めた女の生涯を描く。

ゴーリーのバレエ愛を感じる一冊

ゴーリーのバレエ好きは相当なもので、特に入れ込んでいたニューヨークシティバレエ団(New York City Ballet)の公演は1956年から1979年にかけて、そのほとんどを観に行っていたらしい。献辞にあるダイアナ・アダムズは、同団のプリンシパル(トップダンサー)である。

 「金箔のコウモリ」はミレッラ・スプラトヴァのために創作されたバレエの演目を指す。時代を象徴するほどのバレエダンサーになった彼女だが、華々しい表の姿とはうって変わって、実生活は至って地味で平凡なものだった。「コウモリ」は彼女の人生の二面性を象徴しているものなのだろう。

ゴーリー作品の読む順番、おススメ?

なお、今回紹介したゴーリー作品はどの作品から読んでもオッケー。ストーリー的な前後関係があるわけではないので、読む順番は気にしなくていい。気になったもの。読みたいと思ったものを手に取るのが一番だと思う。

ゴーリー初挑戦の方向け。個人的なおススメ8作を挙げるとするなら以下となる。特に過激な作品、残酷すぎる作品は「いちおう」外してある。

  • うろんな客:うろんちゃんの可愛さを堪能すべき
  • 不幸な子供:ゴーリーらしい不条理と残酷さを堪能
  • ギャシュリークラムのちびっ子たち:アルファベットブックを読むならこれから
  • ずぶぬれの木曜日:心和む貴重なゴーリー作品
  • 思い出した訪問:万人向け。懐かしいあの人を思い出す一作
  • ウエスト・ウイング:ゴシックホラー好きな方ならこちらを
  • 優雅に叱責する自転車:ナンセンス系の作品ならこちら
  • 狂瀾怒濤:シュールで不思議な生きものが好きな方向け

ゴーリーをもっと知りたい方へ

ゴーリー作品については何冊かガイドブックが存在している。気になる方はこちらも要チェックである。