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『俺ではない炎上』浅倉秋成 Twitter炎上の怖さと「責任を取る」ということ


浅倉秋成の2022年最新作が登場

2022年刊行作品。書下ろし。2021年に『六人の嘘つきな大学生』が大ヒット。ブレイクを果たした感のある浅倉秋成の第七作である。

俺ではない炎上

表紙はスマートフォンの画面を模したデザインとなっている。しかもその表面のガラスがヒビ割れている。画像だけだとわかりにくいが、実際に触ってみるとこのヒビの部分が盛り上がった立体的なデザインで、かなり凝った仕掛けと言える。

ちなみに表紙カバーを外してみるとこんな感じ。作中で登場するTwitterの投稿を模したテキストが配置されている。

表紙カバーを取ったところ1
表紙カバーを取ったところ2
表紙カバーを取ったところ

双葉社の公式サイトはこちら

浅倉秋成のインタビュー記事もあったのでリンクしておく。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

冤罪モノ。読み始めたら止まらない、手に汗握る逃亡劇を読んでみたい方。Twitterでの炎上について、SNSの使い方について考えてみたい方。周到な伏線回収と、意外な展開にビックリしたい方。浅倉秋成を読んでみたかったけど、どれから読んでいいか迷っている方におススメ!

あらすじ

大手住宅メーカー、大帝ハウス大善支社の営業部長・山縣泰介は、ある日突然、女子大生殺害犯の濡れ衣を着せられる。なりすましが作成した山縣のTwitterアカウントは、本人でなければ投稿できないプライベートな内容で溢れていた。いったい誰が山縣を陥れようとしているのか?同僚、家族、友人、そして世間を敵に回して、山縣の孤独な逃走劇が始まる。果たして真犯人は誰なのか?

ここからネタバレ

登場人物一覧

まずは最初に『俺ではない炎上』に登場するキャラクターを整理しておこう。

  • 山縣泰介(やまがたたいすけ):大帝ハウス大善支社営業部長、主人公
  • 山縣芙由子(やまがたふゆこ):泰介の妻
  • 山縣夏美(やまがたなつみ):泰介の娘
  • 江波戸琢哉(えばとたくや):夏美の同級生
  • 野井(のい):泰介の部下、課長
  • 青江(あおえ):協業先のシーケンLIVE(リヴ)社員
  • 住吉初羽馬(すみよししょうま):大学生
  • サクラ(んぼ):住吉初羽馬の大学の後輩
  • 堀健比古(ほりたけひこ):所轄の刑事
  • 六浦(むつうら):県警捜査一課の刑事
  • セザキハルヤ:????

中年男性が主人公、ファンタジー要素なしの浅倉作品

浅倉秋成はこれまで一貫として、若い世代を主人公とした作品を書き続けてきた。

しかも、デビュー作『ノワール・レヴナント』以来の、『フラッガーの方程式』『失恋の準備をお願いします(失恋覚悟のラウンドアバウト)』『教室が、ひとりになるまで』『九度目の十八歳を迎えた君と』は、超自然的(ファンタジー)的な要素を含んだ青春小説だった。

作風に変化が訪れたのは『六人の嘘つきな大学生』からだろう。『六人の嘘つきな大学生』は大学生を主人公にした作品だったが、超自然的な要素は登場しない。この点について、作者はこう述べている。

もともと、高校生が主人公のファンタジックな青春ミステリーばかりを書いていたので、それだと届かない読者もいますよ、という助言は複数の編集者からいただいていたんです。自分が経験してきた学生時代をベースに書いたほうが書きやすいのは確かだけれど、もっと多くの読者に読んでもらうためには、挑戦もしなくちゃいけないと、ファンタジックな要素を封印して書いてみたのが『六人の嘘つきな大学生』でした。

「明日は我が身かもしれない」浅倉秋成氏インタビュー|COLORFULより

そして本作『俺ではない炎上』の主人公は中年のサラリーマン男性、山縣泰介である。浅倉秋成は更に一歩踏み込んだキャラクター設定を試みているわけだ。この点についての見解は以下の通り。

ありがたいことに思った以上の反響をいただけたのですが、就活がテーマだとやっぱりどこか「若い子が読むもの」という印象をもたれるかもしれない。だったら、さらに多くの読者に届けるために、ある程度年のいった大人を主人公に据えてみようと思いました。……商業的な話で、恐縮ですが(笑)。

「明日は我が身かもしれない」浅倉秋成氏インタビュー|COLORFULより

これまでの浅倉作品ファンは、若い層が多かったのではないかと思われるのだが、それに対してもっと幅広い層にリーチさせたい。そんな狙いが本作には込められている。

明日は我が身のTwitter炎上

『俺ではない炎上』ではTwitter(SNS)での炎上事件が描かれる。山縣泰介を装ったアカウントからは、実際に行われた殺人犯罪の現場実況が行われる。自分のパーソナリティを完全に再現されたTwitterアカウントを捏造され、そこで犯罪告白がなされたとしたら、炎上から逃れることはできるのだろうか?どう考えても無理である。

殺人とまではいかなくても、ちょっとした言葉の使い方で、Twitterのアカウントが炎上してしまうことは、誰にでも可能性のあることだ。一度投稿してしてしまった内容は、即座に削除したとしても、誰かにスクショを取られている可能性がある。ひとたび燃え始めた炎上の火を消し止めるのは容易なことではない。

炎上は身近なリスク。自分にだっていつ起きてもおかしくない脅威なのだ。Twitterの利用が幅広い層に普及した現在、本作を「明日は我が身」と思って読み進めた読者も多かったのではないだろうか。

安全な場所から絶対的な正義を行使したい

この物語の影の主役とも言えるのは山縣泰介を叩き続ける、無数の正義の執行者たちだ。うら若き女子大生を無残な手口で殺害した中年男性。これはどう考えても弾劾の対象者だ。罰を受けて欲しい。犯した罪に相応する報いを受けて欲しい。悪人なのだから、何を言ってもかまわない。悪人を放置していた家族も同罪である。その正義感情は次第にエスカレートしていく。

Twitterで炎上に加担するのは、もっとも安易で、なおかつ安全な正義の行使でもある。Twitterで悪だと思われる相手を一方的に断罪する。そうすると正義を行使している満足感も得られるし、しかも自分自身に害が及ぶリスクもない。

作中に登場する『翡翠の雷霆』の正義バッジは、「君は正義の人間だからどんなことがあっても俺が君を肯定する正義の印」である。本作を象徴するアイテムと言えるが、その正義には実際のところ何の根拠もないのだ。

TwitterのようなSNSは、こうした人々の「手軽に正義感を行使したい」をカンタンに実現できてしまうツールである。だがこうした行為は本質的には集団リンチ変わらない。そこにTwitterの怖さはある。

だれも責任を取らない世界

本作で度々登場するフレーズがある。それは「自分は悪くない」だ。山縣泰介をネットで叩き続けた人々は、彼の冤罪が証明されたとたんに手の平を返す。誤情報を拡散した誰かが悪い。ちゃんと捜査をしない警察が悪い。マスコミの報道が悪い。「悪い」の中に自分は含まれない。

山縣泰介自身も、これまでの人生で自らの責任については無頓着だった。山縣芙由子は夫の理解の無さに絶望しつつも自分で何かをしようとはしなかった。大学生の住吉初翔馬は、不遇な自分たちの世代を嘆きつつ、大人世代への責任転嫁に終始している。

「自分は悪くない」を隠れ蓑にして、自分で責任を負わない。本来であれば引き受けるべき責任から逃げ続ける。だが、責任からいつまでも逃げ続けることはできない。いつかは溜め込んだツケを払わなくてはならないときがやってくるのだ。

本作のラスト、結末部分では、負うべき責任を引き受けようとする山縣泰介の姿が描かれる。山縣泰介は謙虚に自らの責任を受けとめ、過去の誤りを振り返ることが出来るようになった。「自分は悪くない」をいつまで言い続けることはできない。そんな教訓を本作は読み手に伝えてくれているのだと感じた。

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