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『ベルリンは晴れているか』深緑野分、弱者が弱者を虐げる世界で

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2019年の本屋大賞第3位、直木候補作

2018年刊行作品。直木候補作、2019年の本屋大賞第3位にランクインした作品である。

その他、この年のミステリ系各ランキングで、『このミステリーがすごい! 』が第2位、『週刊文春』ミステリーベスト10 で第3位、「ミステリが読みたい!」では第10位にランクインしている。

作者の深緑野分(ふかみどりのわき)は1983年生まれ。東京創元社の公募新人賞「ミステリーズ!新人賞」に応募した『オーブランの少女』が佳作入選し作家デビュー。初の単行本は同作を収録した2013年の短編集『オーブランの少女』である。

日本人作家でありながら海外を舞台とした作品を書く。それも第二次大戦終了直後のベルリンでとなると、それは並々ならぬ労苦を要するだろう。資料集めの大変さもさることながら、差別問題、戦争犯罪など、デリケートな話題に触れざるを得ない。作者としては、それだけの手間暇をかけてでも、このテーマを書きたい、取り上げたいという熱意があったのだろう。読む前から、読者側の期待のハードルも高くなってしまうのだが、本作はその期待に十分応えてくれた一作である。

ちくま文庫版は2022年に登場。解説は、ドイツ文学者、翻訳家の酒寄進一(さかよりしんいち)が担当している。

ベルリンは晴れているか (ちくま文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

第二次大戦直後の敗戦国ドイツを舞台とした物語を読んでみたい方。戦争における弱者について考えてみたい方。逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』を読んで、ドイツ側の事情も知りたいと思った方におススメ。

あらすじ

1945年。第二次大戦終戦直後のベルリン。連合軍に占領されたこの街で、ひとりのドイツ人が毒入りの歯磨き粉によって殺害される。容疑者としてソヴィエト軍に連行されたドイツ人少女アウグステは、戦時中孤児として、被害者宅に匿われていた過去があった。容疑を晴らすためにアウグステは、もうひとりので容疑者である、被害者の義理の息子を探す事を命じられる。崩壊したベルリン市街を彷徨う中で、アウグステはさまざまな人々に出会う。

ここからネタバレ

「弱者」を見殺しにしてきた罪と向き合う

圧倒的な暴力が、自身とその家族の生命を脅かした時、自尊心や、良心を保ち続けて生きることは困難である。ユダヤ人、身体障害者、同性愛、共産主義者、強制徴用された外国人、数多の少数者を見殺しにしてきた罪とどう向き合うのか。本作は人間の弱さと矜恃を、改めて見つめ直すことが出来る作品である。

主人公であるドイツ人少女アウグステは、ナチス政権によって、共産党員の父親を処刑され、母親を自死に追い込まれている。当時のドイツ人の中では、相対的に「弱者」の側に位置していた人間だが、そんな彼女にも忘れられないいくつもの悔恨があった。

ユダヤ人の隣人が収容所に送られる、身体障害者の少女が死に追い込まれる、盲目のポーランド人少女を助けることが出来ず、見殺しにしてしまった事である。

生き残るため、家族のために仕方ない事なのだとアウグステは良心を押し殺して来た。しかし戦後、ナチスの存在が無くなった時、良心の呵責にアウグステは苦しむようになる。終始、後ろめたさと激しい罪悪感に囚われてきた彼女が、最後にどんな選択をするのか。荒廃したベルリンを彷徨う中で、彼女は自身の罪と向き合うことになる。

アウグステと三人の「弱者」

アウグステと同行することになる三人のドイツ人たちも、その出自はさまざまでありながらも、ナチス政権下では「弱者」とされてきた人間である。ユダヤ人に容貌が似ているために、ユダヤ人役の俳優として重宝されてきたジギ、ユダヤ人クォーターで、収容所送りは免れたものの、劣等人種として断種(去勢)されたヴァルター、敵前逃亡者で同性愛者のハンス。

彼ら自身は「弱者」として蔑まれながらも、更に自分よりも過酷な立場に置かれた「弱者」を時には見殺しにし、時には踏みつけにしてきた過去を持つ。「弱者」の下には更なる「弱者」がいる。いつの時代にも、こうした社会構造は無くなることはないのだが、戦時下ではこうした差異は、より残酷に人生を悲惨なものにしてしまう。

戦後、彼らの取った態度はさまざまである。ジギは現実から逃げ、ヴァルターは運命に怒り抗い、ハンスは諦観の境地に至る。自分と同じ「弱者」であった三人と同行することで、揺れ動いていたアウグステの決意が次第に固まっていく。彼女は多様な「弱者」の存在を知ることで、自らの位置づけを相対化して見ることが出来たわけである。この構成はなかなか上手い。

希望とは無鉄砲で無邪気なもの

最終章は、アウグステの視点ではなく、ジギからの手紙という形式で後日譚が語られる。ジギ、ヴァルター、ハンスはそれぞれに新しい道を歩み始める。

そして、アウグステは、直接手を下したわけでは無いものの、自殺幇助的な罪には問われるのだろうか。もちろん黙っていることも可能だったかもしれないが、これが彼女なりの贖罪の形なのだ。

最後に僅かな救いとして、戦時中のアウグステ一家を助けたホルンの生存が確認される。アウグステに英語を教え、禁じられていた数多の書籍を残そうとしたホルンは、戦時下における智の象徴であり、せめてもの抵抗者であった。知識への希求は、時として人の精神と命を救う。ささやかであるかもしれないが、いかなる時でも希望はあるのではないか。仄かな救済を示して本作は幕を閉じるのである。

ちなみに、本作で言及されているケストナーの『エーミール(エミール)と探偵たち』はこちら。

『ベルリンは晴れているか』とあわせて読むなら

皆川博子の『死の泉』がおススメ。『ベルリンは晴れているか』でもレーベンスボルン(命の泉)として言及されていた施設を舞台とした物語である。

ソヴィエト側の少女から見た独ソ戦については、逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』がおススメ。

ドイツとソヴィエト連邦との戦いについて全体感を掴みたい方は、大木穀の『独ソ戦』がおすすめ。