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『よるのばけもの』住野よる 「矢野さつきが示した三人」は誰なのか?

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住野よるの三作目

2016年刊行作品。『君の膵臓をたべたい』『また、同じ夢を見ていた』に続く、住野よるの第三作である。

双葉文庫版は2019年に発売されている。単行本版と比べて、表紙の雰囲気が全然変わったね。

よるのばけもの (双葉文庫)

また、本作にはラジオドラマ形式のオーディオブック(audiobook.jp)版が存在する。

安達役を松岡禎丞が、また矢野さつき役は佳村はるかが担当している。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

住野よるファンの方、『よるのばけもの』という魅力的なタイトルに惹かれた方、夜の学校に堪らない魅力を感じる方、学校での自分は本当の自分じゃないと思っている方におススメ。

あらすじ

夜になると「僕」は化け物になる。黒い体、六つの足、八つの目、四本の尻尾。化け物となり、学校へ忍び込んだ「僕」は、そこでクラスメイトの矢野さつきに出会う。彼女はクラスの誰からも軽んじられ、疎まれ、無視されてきたいじめのターゲットだった。夜の教室は不思議な世界。二人はそこで交流を重ねていくのだが……。

ここからネタバレ

同調圧力の檻

学校社会は逃げ場の無いところである。

「人には役割や立ち位置がある」。学校中では、あらかじめ定められたポジションを守らなくては異分子にされてしまう。異なった価値観を持つ者、異なった振る舞いをするものは排除されてしまう。周囲と同じように考え、同じにように行動しなくてはならない。それは目に見えない、同調圧力という名の檻のようである。

場の空気を読めることが、生存条件となっている環境下では、個々人の自由なふるまいは許されないのだ。

住野よるの過去二作品『君の膵臓をたべたい』『また、同じ夢を見ていた』と比べると、本作は終始重苦しく、抑圧された展開が続く。

昼の俺と夜の僕

『よるのばけもの』では、昼の時間と、夜の時間を交互に描きながら進行していく。少し読むと気が付くと思うのだが、主人公が自分のことを昼は「俺」、夜は「僕」と呼んでいる。

昼の「俺」は絶えず周囲に気を使い、周囲からズレることがないよう注意深くふるまう存在である。同調圧力には敏感で、クラスのいじめ対象である矢野さつきには、もちろん冷たく対応する。

一方で、夜の「僕」は自由な存在である。「僕」は自在に世界を駆け巡る。昼間はできない大好きな『ハリーポッター』の話もできる。分身を"シャドー"と名付けてしまうくらいの可愛さもある。そして嫌われ者の矢野さつきともごく普通に会話ができてしまう。おそらくは、これが本来の主人公の姿なのであろう。

ばけものの外観を持つ「僕」は、誰が見ても「俺」だとは気づかない。それゆえに自由になれる。人目を気にしないで済むようになって、はじめて「僕」は矢野さつきに、本来の自分の姿をさらけ出すことが出来たわけだ。

それにしても、ばけもの姿の主人公を、矢野さつきが見分けることが出来たのは何故だろうか?これは、彼女が昼も夜でも自分を偽ろうとしない、ありのままの生き方を貫いてきたからなのであろうか。

矢野さつきが示した三人は誰なのか?

さて、この物語で気になるのは矢野さつきが示した三人が誰なのか?という問題である。文庫版ではp260に登場する以下の台詞である。

作中では正解は示されておらず、あくまでも解釈は読み手の想像に委ねられているのだが、本作の物語構造の核心に触れる部分であり、重要度は高い。

「いじめるのが好、きなふりし、て本当は誰かを下に見、てないと不安で仕方な、い女の子?」

これが一番難しいかな。 

これはおそらく井口。積極的に矢野さつきを虐めている工藤や中川は「いじめるのが好きなふり」をしている人間には当たらないだろう。井口は虐めについては、傍観者の立ち位置にいる人間だが、自分がクラスの最底辺に落ちることは断固回避しようとする。それは消しゴムのエピソードを明らかであろう。作中での登場頻度から考えても井口で良いのではないかと思われる。

 「頭がよ、くて自分がどうす、れば周りがどう動、くか分かって遊んでる男、の子?」

これは明確に笠井だろう。お調子者でクラスのムードメーカー。上靴を台無しにされた中川が、矢野さつきを犯人として制裁を加えようとするところを止めたりもして、「実はいい奴なのでは」とミスリードさせていたのが一気にひっくり返る場面である。クラスの陰のボス、虐めの主犯は笠井だったのだ。

昼間の「俺」ですら、サイコパス的な属性を持つ笠井の本質には気づいていない節があるので、ぼーっと読んでいると、これけっこうビックリする。

「喧嘩しちゃっ、た元友達が、ひどいことされてて仲直りも出来な、くて、誰に対しても頷くだけしか出来、ない癖に責任を勝手に感、じて本人の代わりに仕返、しをして、る馬鹿なクラスメイ、ト?」

これもわかりやすい。緑川が正解だろう。

この一文で、矢野さつきと緑川がもともとは友人関係にあったこと。そして、おそらくは、緑川が虐めのターゲットになるのを防ぐために、矢野さつきがあえてクラスの憎まれ役を買って出たのであろうことが想像できるのである(井口へのビンタ事件からも想像がつくようになっている)。

虐めテーマと謎解きの相性の悪さ

先ほど書いた、「矢野さつきが示した三人」の謎は、本作を読み解く上で重要な部分である。この三人が誰なのかを知ることで、作品の構造が理解できるようなる。

これが前作の『また、同じ夢を見ていた』のような、幸せな物語であれば、作中の謎を読み解くことは楽しいことである。

ただ、この物語のテーマは、虐めを軸にした自分探しである。あまりに重すぎるテーマであるだけに、謎解きなんてしてる場合なの?という絵空事感を覚えてしまうのはわたしだけだろうか?実際に虐めの渦中にある人間にとっては、本作のミステリ的な謎解き要素は、なんの救いにもならないであろう。

ラストシーンで、本来の自分を押さえつけて生きてきた主人公は、最後に重圧をはねのけて「ずれ」を修正しようとする。この先の「俺」がどうなるのかを考えると手放しで喜べないラストだが、それでも自分らしくあろうとするその選択は尊重できる。

それだけに、謎解き要素と、本来のテーマの相性の悪さが、どうにもしっくりこない作品であった。

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