ネコショカ

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佐々木丸美『花嫁人形』 「孤児」シリーズ4部作を読む(3)


ようやく咳が落ち着いてきたと思ったら、5年ぶりにガチの痛風が到来。オッサンってやーねー(悲しい)。

本Blogを読んでいただけている方のメイン層は、平均すると30代前半くらいようなので、痛風を経験された方がはあまりおられないと思うが、超絶痛い。わたしは30代後半で初発症したが、その時は一週間近く出社が出来なかった。当時は結婚もしていなかったので、買い物にも行けず餓死寸前であった。皆さま、プリン体の過剰摂取にくれぐれもご注意を!

というわけで、本日は痛みに悶絶しつつの更新(だいたい病院の待ち時間で書いた)。

「孤児」シリーズの三作目

佐々木丸美作、「孤児」シリーズと呼ばれる世界観を同じくする作品群の一つ。運命に翻弄される四人の少女たちの物語を綴ったもの。『雪の断章』『忘れな草』に続くシリーズ二作目となる。本作の続巻に『風花の里』がある。

オリジナルの単行本版は1979年刊行。

花嫁人形

花嫁人形

 

1987年に講談社文庫版が登場している。

花嫁人形 (講談社文庫)

花嫁人形 (講談社文庫)

 

その後の佐々木丸美作品の復刊運動については、1990年代の後半からさまざまな動きがあったようで、熱烈なファンの方のページがあったのでこちらをご紹介しておきたい。

けれど、丸美さんは「みんなの気持ちが嬉しい。長い間好きでいてくれてありがとう」と言って下さったものの、復刊には消極的でした。(※復刊を「拒絶」、「かたくなに拒んでいた」といつしか広まっているようですが、実際はそうではありません。まちがったとらえ方をされ復刊を誹謗中傷されるのは、ものすごく悲しいです)
その一番大きな理由は、「過去の作品ではなく新作を世に出したい」という思いのほうが強かったからです。結果的に1984年刊行の「榛(はしばみ)家の伝説」以降、新作は世に出ることはありませんでしたが、ご本人としては「筆を折った」おつもりはなかったのだと思います。
復刊活動をしていく内にこうした先生のお気持ちを知ることとなった私たちは、そのご意思を尊重したいと思い、2001年9月6日に復刊活動を凍結することを決めたのでした。

M's neige(佐々木丸美作品復刊運動&ファンサイト) 復刊運動についてより

「過去の作品ではなく新作を世に出したいから」という理由が、亡くなられてしまった今となっては切ない。結果として、ご本人が亡くなられたことで、復刊運動が再始動するのも、なんだかやるせない話である。しかしながらこの運動によって、生前刊行された全18作品全ての作品が再刊されているのは本当にすばらしい快挙だと思う。

『花嫁人形』の復刊については、ブッキング(復刊ドットコム)版が2007年に登場。

花嫁人形 佐々木丸美コレクション

花嫁人形 佐々木丸美コレクション

 

続いて、東京創元社版が2009年に登場している。

この表紙イラストでは、黒い服を着た本岡家の四姉妹と、白い服を着た昭菜の姿を描いている。昭菜のドレスは白いのに、靴下はどうして灰色なのか。昭菜はどうして織と目を合わせようとしないのか等々、さまざまな含意に満ちていて、意味深長なデザインだと思う。こういうの大好き。

花嫁人形 (創元推理文庫)

花嫁人形 (創元推理文庫)

 

なお、ブッキング版では1979年刊行の単行本が、東京創元社版では1987年の講談社文庫版がそれぞれ底本になっている。比較的近い時期での再刊であったが、そのような前提をもとに、住み分けがなされたのである。佐々木丸美は文庫化の際にかなりの加筆修正をするタイプの作家だったようなので、ファンとしては両方読みたくなるだろうね。

あらすじ

会社経営者である人格者の父親、献身的で優しい母親、美しく利発な四人の姉妹。本岡家は絵に描いたような理想の家庭だった。無視され、疎んじられる忘れられたもう一人の娘、昭菜の存在を除いては。大学生である、母親の実弟が同居し始めたことで、均衡が保たれていた本岡家の安息の日々は、次第に揺らぎ始める。昭菜の心に仄かに灯った恋の炎が、家族の秘めた欲望に火をつけていく。

復讐譚としての面白さ

前置きが長くなってしまったが、ようやく本編の感想である。「孤児」シリーズはストーリーテリングが巧みで、いずれもリーダビリティが極めて高い。しかし、その中でも本作の停まらなさ度合いは屈指であるかもしれない。読み始めたら結末まで一直線のジェットコースター小説なのである。

本岡家に故あって、孤児として引き取られたのが本作の主人公の昭菜である。暴力を振るわれたり、過酷な労働を強いられる事は無かったものの、本岡家の人々が昭菜に対して示したのは徹底的な「無関心」だった。食卓に呼ばれない、一人だけプレゼントがない、そして極め付けは学校教育を受けさせないことである。ネグレクトもここに極まれりという環境の中で、字も満足にかけず、自己肯定感低く生きていくヒロイン像が、これまでのシリーズはなかった物語の緊迫感を生んでいる。

しかし虐げられていても、障害が目の前に立ちはだかったとしても、黙ってそのまま耐えていないのが「孤児」シリーズのヒロインたちである。ましてやかつてない程の劣悪な境遇で過ごしている昭菜なのだ。「復讐劇」の要素は読み手の心を惹きつける。悪をなしたものがその報いを受け敗れ去り、艱難辛苦を耐え善をなしたものが最後に幸福を掴む。因果応報、勧善懲悪、それは王道的な展開と言えばそれまでだが、だれもが納得感のある結末である。その復讐は、果たされなければならないのだ。

復讐のためならば自分の手を汚してもいいの?

「孤児」シリーズ中、昭菜が特異である点はもう一つある。それは、自らの意思で手を汚していることだろう。発端は不可抗力だったとしても、その先の展開は選ぶことが出来た筈である。でも、選ばなかった。織と奈津子に対しての復讐が、二人の危機に対する「無関心」という形で果たされたのは、抜群の構成の妙と言える。

昭菜の復讐は本岡家の人々に悲惨な運命をもたらす。それはもちろん、一般常識で考えれば非難されるべきだし、本人も激しい後悔と自己嫌悪に陥ってはいるのだけど、本岡家の人々のこれまでの仕打ちがあまりに酷すぎるので、読み手としても「ああ、これは仕方ない」と思えてしまう。

この出来事をきっかけとして、自らに対してまったく自信が持てなかった昭菜が変っていく。明確に自分の意思で運命を切り開いていこう、欲しい存在を掴みとっていこうとしていく。ここら辺から、物語的には俄然面白くなってくる。どんどん立場が逆転していき、玉突き現象的に運命が反転していくのだ。

昭菜は逆転のチャンスを掴んだきっかけが、自らの手を汚すことであった。それだけに元からの自己肯定感の低さとあいまって、積極的に幸福を掴みに行くことを躊躇しがちのキャラクターなのだけど、最後の最後は己の心に正直になって、周囲を不幸にしてでも自分の気持ちを貫くことを優先している。この強さは「孤児」シリーズのヒロインならではの魅力と言える。

結局のところ本岡家の壮大な自爆劇

本作でやるせないのは本岡家の人々は基本的には善良な人々であるということだ。単なる悪役として描いていないところは面白い。彼らはお互いを思いやり、時として自身の幸福すらも犠牲に出来る献身の心を持っている。この点『雪の断章』に登場した、飛鳥の最初の引き取り先、本岡家(弟の剛三さんちの方)が明確に悪人一家だったことを考えると、明確な違いと言える。

そんな彼らが、さまざまな運命の歯車の食い違いで、少しずつ少しずつ不幸への階段を降りていく。長きに渡る無関心の報いが、幸福な家族を崩壊に導いていくさまは、快感といえば快感なのだが、なんともいえないやるせなさが残る。読後感のビターさではシリーズ随一の作品とと言えるだろう。

「孤児」シリーズ第一作、『雪の断章』の感想はこちらから。

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 そして「孤児」シリーズ第二作、『忘れな草』の感想はこちらから。

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