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『象と耳鳴り』恩田陸 元判事を主人公としたミステリ短編集


恩田陸のミステリ短編集

1999年刊行作品。主として祥伝社の小説誌『小説NON』に掲載されていた一連の作品をまとめて書籍化したもの。『光の帝国 常野物語』の次、『木曜組曲』の前に出た作品で、恩田陸の第六作となる。

象と耳鳴り

カバーデザインはビル・S・バリンジャーの創元推理文庫(旧版)の『歯と爪』のカバー意匠へのオマージュであると、あとがきで恩田陸自身が書いている。

祥伝社文庫版は2003年に刊行されている。カバーデザインは単行本のものが、文庫版でもほぼ踏襲されている。これは通常の祥伝社文庫のフォーマットデザインからは、かけ離れものとなっており、刊行当時はちょっと驚いた記憶がある。優遇されてるなあ、恩田陸。

象と耳鳴り (祥伝社文庫)

文庫版には文庫版のあとがきが追加。さらにミステリ作家、西澤保彦の解説が収録されている。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

主人公は共通しているけれども連作形式ではない、どれから読んでもオッケーなタイプの気軽に入れるミステリ短編集を読んでみたい方。恩田陸の短編作品に興味がある方。都市伝説、地方都市、安楽椅子探偵もの、こうしたジャンルに惹かれる方におススメ。

元判事、関根多佳雄を主人公としたミステリ短編集

『象と耳鳴り』は12編を収録したミステリ短編集だ。連作形式にはなっていないので、どのエピソードから読み始めても問題ない。

主として視点人物を務めるのは、関根多佳雄(せきねたかお)。彼は高名な元判事(裁判官)で、現役時代は相当に優秀な人物であったらしい。最後は最高裁判事くらいまでいったのかな?

覚えておられる方もいらっしゃるかもしれないが、関根多佳雄は、恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』にも登場している。また、関根多佳雄の長男、関根春(せきねしゅん)、長女、関根夏(せきねなつ)、更には妻である関根桃代(せきねももよ)も登場する。

せっかくなので関根ファミリーをまとめておこう。

  • 関根多佳雄(せきねたかお):本作の主人公。引退した元判事。
  • 関根桃代(せきねももよ):多佳雄の妻。
  • 関根春(せきねしゅん):多佳雄の長男。現役の検事。『puzzle』にも登場。
  • 関根夏(せきねなつ):多佳雄の長女。現役の弁護士。春の二つ下。『図書室の海』にも登場。
  • 関根秋(せきねしゅう):多佳雄の次男。『六番目の小夜子』に登場。 ※本作には登場しない

ご覧のように、関根家は、父親が判事、長男が検事、長女が弁護士と絵に書いたような法曹一族で、しかも揃いも揃って全員が優秀というエリート一家である。関根秋の消息が明らかにならないところが『六番目の小夜子』ファンとしては、ちょっともどかしいかな。

あらすじ

象を見ると耳鳴りがするという老婦人、果たしてその因果関係は?(象と耳鳴り)。ある地方都市の都市伝説を巡る物語(魔術師)。巨大な給水塔をめぐる奇妙な冒険行(給水塔)。列車の事故で足止めを食った駅の待合室での一幕(待合室の冒険)。旅先で見知った人魚の噂、背後には犯罪の影があるようで(海にゐるのは人魚ではない)。計、十二編を収録。恩田陸の新境地を開いた本格推理短編集。

以下、各編ごとにコメント

ここからネタバレ

曜変天目の夜

初出は『ミステリマガジン』の1995年11月臨時増刊号。

国宝の曜変天目(ようへんてんもく)茶碗を見た日、関根多佳雄は10年前の事件を思い出す。友人であり、高名な司法学者でもあった酒寄順一郎(さかよりじゅんいちろう)は、多佳雄が往訪した晩に急逝した。「今日は、曜変天目の夜だ」彼のその言葉にはどんな意味があったのか。

曜変天目茶碗についてはWikipedia先生を参照のこと。

ビジュアルはこちら。

国宝指定されている三つの曜変天目茶碗のうち、本編に登場するのは静嘉堂文庫蔵の通称「稲葉天目」である。静嘉堂文庫は世田谷にかつて存在した美術館(現在は専門図書館として運営)。本作の発表当時は、まだ、美術館として運用されていた。美術館としての活動は、現在、「静嘉堂@丸の内」として、丸の内の明治生命館に移されている。

曜変天目茶碗は、再現性が極めて困難で、焼いてみて窯から出してみないと出来がわからない。老いて次第に朽ちていく自分の心身。明日はどうなっているかわからない。そんな人間の在りようを、曜変天目茶碗に置き換えてみたのが本作である。

曜変天目茶碗は、実際問題、ほんとうに魅力的なので、都内近郊の方は是非どうぞ。実物の存在感は凄い。「静嘉堂@丸の内」では、少なくとも数年に一度は展示があるはず(わたしはこないだ、久しぶりに観てきた)。個人的には、大阪の藤田美術館蔵版も良かった。残る、龍光院蔵版だけ見られていないので(滅多に展覧会に出品されないのだ)、機会があれば是非観に行きたいと思っている。

新・D坂の殺人事件

初出は『青春と読書』の1998年2月号。「曜変天目の夜」と「新・D坂の殺人事件」は発表媒体が異なるせいか、これ以降の『小説NON』掲載エピソードと、微妙に作品のタッチが異なる。

渋谷駅前で起きた、若い男の変死事件。死因は心臓麻痺のようだが、その身体の各所には細かな骨折が確認されている。男の死体は渋谷のD坂に、突如出現したのだという。衆人監視状態の中、いかにして死体はそこに遺棄されたのだろうか。

オマージュ元はもちろん江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』。

乱歩のD坂は東京都文京区の団子坂(だんござか)だが、本編「新・D坂の殺人事件」で登場するD坂は、東京都渋谷区の道玄坂(どうげんざか)である。

人間は見えているようで見ていない。人間は自分が見たいものしか見ない。いきなり出現したかに思われた死体だが、誰もが真相を見ようとしていなかった。集団の無関心が男を殺したのだとする、シニカルな幕の引き方が読み手の心に暗い影を落とす。

給水塔

初出は『小説NON』の1996年1月号。

都営A線N駅。この駅の最寄には巨大な給水塔が存在する。この地でささやかれている「鬼が出た」とされる奇妙な噂。相次ぐ事故、人魂の目撃証言、消えた子ども、これらは全て鬼の仕業なのか。関根多佳雄が示した、事件の真相とは……。

都営A線N駅は、都営浅草線の西馬込駅のこと。描かれている給水塔は「馬込給水塔」と呼ばれているもの。わたしが実際に見に行った画像があるので、貼っておこう。

西馬込の給水塔

西馬込の給水塔

撮影は2001年とかなり古いがご容赦を。住宅地の中に突如として出現するのでかなりのインパクトがある。手前の自動車と比較すると、その巨大さが実感できるはずだ。

人喰い給水塔と呼ばれた、巨大な給水塔を巡る都市伝説のお話。本作に登場する時枝満(ときえだみつる)は、2001年刊行の恩田陸作品『MAZE』にも登場しているキャラクター。さまざまな都市伝説の中から、垣間見えてくる犯罪の影。給水塔の異様な存在感と、つかみどころのない時枝満のキャラクターがあいまって、なんとも不気味な印象を受ける一編。

象と耳鳴り

初出は『小説NON』の1997年12月号。僅か10頁程度の掌編作品。

「ーーあたくし、象を見ると耳鳴りがするんです。」古い喫茶店。偶然出会った上品な老婦人は多佳雄にそう告げる。それは老婦人のイギリスでの少女時代に由来する。屋敷で出会った巨大な象の記憶。そして断末魔の男の悲鳴。いったい彼の地では何が起きていたのか。

本作のモチーフとなっている、フランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』はこちら。

少女時代の辛い記憶が、老いてなお自分を呪縛する。かつて犯した罪が、巨大な象となっていつか自分のもとに訪れる。老婦人の幼馴染である、喫茶店の主人は、なぜ、彼女のトラウマとなっている象の染付を店内に置くのか。主人の心中に秘められた昏い情念が、なんともいえない読後感を与えてくれる。

海にゐるのは人魚ではない

初出は『小説NON』の1997年6月号。

共通の知人に招かれて、静岡県伊東の邸宅を訪れようとしていた多佳雄と息子の春。多佳雄は旅の途中で、地元の子供らによる奇妙な会話を耳にする。「ーー海にいるのは人魚じゃないんだよ」「海にいるのは、土座衛門さ」。その会話の暗示するものとは……。

タイトルの「海にゐるのは人魚ではない」は言うまでもなく、中原中也の詩集『在りし日の歌』に収録されている「北の海」である。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

『在りし日の歌』収録「北の海」より

子どもたちの会話。ガードレールの事故痕。海鳥の死骸。断片的な事実を繋ぎ合わせて、隠された犯罪の存在を読み解いていくスタイル。関根親子みたいな、頭が良くて想像力がある存在を敵にはまわしたくないなとつくづく思わされる。

ニューメキシコの月

初出は『小説NON』の1996年8月号。

骨折し入院を余儀なくされた多佳雄のもとに、旧来からの知人、東京地検の検事貝谷(かいや)が見舞いに訪れる。貝谷は九人の男女を殺害した、室伏信夫(むろふしのぶお)の事件を語り始める。評判の良い医師であった室伏は、どうして大量殺人に手を染めたのか。

作中、冒頭に登場する「エルナンデスの月の出」はアメリカの写真家、アンセル・アダムスによるもの。Wikipedia先生より画像を引用させていただく。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/e/e3/Moonrise%2C_Hernandez%2C_New_Mexico.jpg

Moonrise, Hernandez, New Mexico - Wikipediaより

被害者の一覧はこんな感じ。

  • Aさん:江東区でメッキ工場経営。54歳
  • Bさん:N電気のサラリーマン。31歳。
  • Cさん:薬局勤務。56歳
  • Dさん:予備校生。19歳
  • Eさん:区役所勤務。24歳
  • Fさん:医療機器メーカーの会社役員。58歳。末期がん。最初の被害者
  • Gさん:税理士。39歳
  • Hさん:主婦。45歳
  • Iさん:デパート勤務。43歳

一見すると無関係にしか見えない人々の中から、共通する要素を探し出し、犯人の秘められた意図を見抜こうとする安楽椅子探偵モノの一編。いずれも自殺志願者だった被害者たち。ニューメキシコは、人類最初の原子爆弾の実験地であり、緩慢な自死を志向している人類存在を暗示している。

誰かに聞いた話

初出は『小説NON』の1998年7月号。僅か7頁の掌編作品。

人の名前が思い出せない。N町の栄泉寺、境内の銀杏の木の根元に現金が埋められている。国道沿いの信用金庫に強盗が押し入ったらしい。ご近所のお嬢さんが枇杷を届けてくれた。茄子の育て方について。繋がる連想からまさかの事態が……。

「誰かに聞いた話」だけど、その「誰か」がわからない。そんな経験を持っている方は多いのではないだろうか。語り手は思い出せないのに「話」の内容だけは鮮明に記憶に残っている。そんな記憶の断片と想像を繋ぎあわせていったら、思わぬ真相にたどり着いてしまったというお話。

廃園

初出は『小説NON』の1998年3月号。

従妹であった結子(ゆうこ)が大切にしていた庭園を、多佳雄は30年ぶりに訪れる。むせ返るような薔薇の香り。匂いが封印されていた記憶を喚起する。結子はあの時、多佳雄に何を伝えようとしていたのだろうか。

奔放な男性遍歴を重ねていた従妹の結子。夫に疎まれ、愛人にも去られていた彼女が、次のターゲットに定めていたのは多佳雄だった。さまざまな偶然が作用して、結子の計画は思いも寄らぬ形で結実することに。

追憶の中の犯罪モノ。匂いには、一瞬でかつての記憶を呼び覚ましてくれる力がある。既にすべてが終わってしまっている。美しかった庭園は荒れ果て、結子も現在は故人である。あの時、本当はどうすればよかったのか。悔いても過去は変わらない。若いころは気づけなかった。老境に足を踏み入れてから気づく悔恨というものが、世の中には確かにある。

待合室の冒険

初出は『小説NON』の1998年10月増刊号。

知人の弁護士の葬儀帰り。多佳雄と春の親子は、鉄道の事故のために途中駅で足止めをくらっている。駅の待合室で見かけた男の奇妙な行動。男の行動に不審を抱いた春は、思わぬ行動に打って出る。彼の真意はどこにあるのか。

ハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』へのオマージュ作品。

「人が駅に来るのは何のためか?」「駅の待合室に来る目的は?」状況から読み取れる事実を積み上げて、どんな結論を導き出せるのか。

多佳雄&春コンビの二作目。この組み合わせ、意外に面白い。父親と息子のバディものってちょっと新鮮な気もする。

机上の論理

初出は『小説NON』の1999年2月号。

兄は検事、妹は弁護士。関根春と夏の兄妹は、従兄弟の病理学者、隆一から一枚の写真を見せられる。映し出されているのは四畳半の和室。使い込んだ木の机。机上には原稿用紙。色あせた絨毯。隆一は二人に、部屋の持ち主を推理してみろと告げるのだが……。

関根春に加えて、妹の関根夏も登場。全編がほぼ二人の推理合戦、会話のみで完結する作品だ。部屋の持ち主は犯罪者だとする夏と、刑事ではないかと予想する春。しかし真相は意外なところに……。今回は父親の多佳雄は登場しないのだが、登場しないことで逆に存在感を高めていく「不在の在」とも手法が光る一編。

往復書簡

初出は『小説NON』の1999年6月号。

新聞記者となり、地方都市勤務となった姪、渋谷孝子。彼女からもたらさせた連続放火事件の謎。書簡が往復されていく過程で、意外な真相が明らかになる。犯人は誰なのか?そして犯人の目的はどこにあったのか?

往復書簡スタイルで綴られてていく一編。孝子の手紙の中に、周到に配置された事件の手がかりをしっかり読み取って解決に繋げてしまう多佳雄が鋭すぎる。ってまあ、意図せず事件の手がかりに気付いている孝子も凄いのかもだけど。

都会からやってきた余所者から見た地方都市の空気感がよく描かれているお話で、次の「魔術師」とも微妙にトーンが被る作品でもある。

魔術師

書き下ろし作品。

東京地検のエリート検事であった貝谷が、早期退職をして地元で帰農生活を始めた。貝谷の元を訪れた多佳雄は、そこで不思議な都市伝説の数々を聞かされる。学校から消えた椅子。赤い犬にまつわる伝承。石鹸地蔵。都市伝説が生まれた背景には何があったのか。

100万人年を目指し、周囲の自治体を次々と合併していくS市は、仙台市のことだろう。「ずいぶん前に歌謡曲になったでしょう」とあるH川は広瀬川(曲名はさとう宗幸の「青葉城恋唄」ね)。

膨張を続ける地方都市。本来は別々の存在であったものが、つなぎあわせられることで別の「なにか」となり、しまいには街の意志すらも持ち始める。恩田陸は地方都市を舞台とした作品をいくつも手掛けているのだけれど、そのルーツとも言える一編かもしれない。

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