氷室冴子、作家キャリア五年目の作品
1982年刊行作品。雑誌『コバルト』の前身である『小説ジュニア』に1981年から1982年にかけて連載されていた10編に、番外編の書下ろし二編(「家弓には家弓の事情があった」「嗚呼、受難の日々」)を加えて上下巻にて文庫化したもの。イラストは星野かずみが担当している。
『白い少女たち』『さようならアルルカン』『クララ白書』『アグネス白書』『恋する女たち』に続く六作目(クララ白書とアグネス白書を一作とカウントしたら五作目かな)となる。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
コメディタッチの同居モノが好きな方、「ジャパネスク」以前の氷室冴子作品を読んでみたい方、昭和の若者風俗に触れてみたい方、性格は悪いけど憎めないタイプのヒロインが好きな方におススメ!
あらすじ
才色兼備にして文武両道。札幌、啓明高校で開校以来の才媛と評判の倉橋数子には悩みがあった。同居している片思い中の叔父が結婚。傷心の数子は、外国に赴任する教授宅の留守番役を買って出る。念願のひとり暮らしのはずが、そこに現れたのはマンガ家志望の学園の問題児三井家弓と、浪人生の安藤勉であった。三人の奇妙な「雑居時代」が始まるのだが……。
ここからネタバレ
二面性のあるヒロインの造形が楽しいコメディ小説
最初期のヒット作である『クララ(アグネス)白書』シリーズで、学園コメディの手法を確立した氷室冴子が、次に上梓したコメディタイプの作品が本作である。
『クララ(アグネス)白書』の主人公が、常識人の桂木しのぶであったことに対して、本作のヒロイン倉橋数子は外面は優等生のお嬢様キャラだが、内面では執念深くさまざまな陰謀や策略をめぐらす二面性のあるキャラクターとして描かれている。決断力や行動力にも優れ(失敗も多いのだが)、『クララ(アグネス)白書』シリーズで言うところの、紺野蒔子(マッキー)のような、残念美人の暴走タイプを主人公に据えてみましたという感じかな。
毒舌陰険キャラの倉橋数子は決して性格が良いキャラクターとは言えず、一つ間違えれば読み手の反感を買いそうなタイプである。しかし、往々にして詰めが甘かったり、根っこの部分の人の好さが邪魔をしたりで、彼女の計画はほとんどが失敗に終わってしまう。言動のヤバさのわりに、意外に憎めない女の子として描かれているのである。
このあたりのバランスの取り方の雑妙さは、さすがは氷室冴子作品と言うべきところだろうか。
では、以下、各編ごとにコメントして行こう。
第一話 かくして雑居生活は始まるのだった
倉橋数子、三井家弓(かゆみ)、安藤勉が出会って、雑居生活が始まるまでのお話。
数子は叔父である大学講師の譲に片思い中。しかし譲は大学の教え子である清香(さやか)との結婚を決めてしまう。女に取られるくらいならと、ゲイである山内鉄馬(てつま)をけしかけたりするのだが上手くいかない。
しかし実の叔父と姪は結婚できないので、ここは初読時に相当の違和感を持って読んだのだが、これ、誰もチェック入らなかったのだろうか?
ちなみに、この部分は1997年に刊行されたSaeko’s early collection版では修正が入っているとのこと。
また、作中で再三登場する「クリスタル族」は、1981年に田中康夫が上梓したベストセラー『なんとなく、クリスタル』に由来する。金銭的に余裕のある若者たちが高級品や、ブランドものに殺到し、「クリスタル族」と揶揄されていた世相が反映されている。
第二話(番外編) 家弓には家弓の事情があった
雑誌連載にはなく、文庫化に際して加筆されたオリジナルパートである。その分、分量が他のエピソードよりやや多めになっている(通常パートは40頁以下だが、60頁以上ある)。
三人同居に至るまで、三井家弓側の事情を描いたおまけエピソード。家賃が18,000円とはいえ、仕送り40,000円で生活するのは当時の物価を考えてもかなり大変そうである。
第三話 とりあえずハッピーエンド 嫁小姑戦争に終わりはあるか?
憎き譲の嫁、清香との初対決編。完全に相手の方が一枚も二枚も上手で、完膚なきまでに敗れる数子が面白い。
譲の声はシャア少佐(池田秀一)に似ているらしい。ガンダムオタク的に突っ込んでおくと、ファーストガンダムでのシャアの最終階級は大佐である。本作の雑誌掲載時、ファーストガンダムは既に完結していたはずなので、この辺はなんとかして欲しかったところ。それとも譲がガンダムを全話見ていなかっただけなのかな。
また、数子が勉に贈ろうとした、久屋大黒堂の不思議膏は痔のお薬であるが、どうしてこの薬が必要になるかは、あえて言及しないでおく。
第四話 彼はジャムしか愛さなかった
これまで、いまひとつ結束感の無かった、数子、家弓、勉の三人が共通の敵を得て、初めて共闘する話。
浪人生の勉は「代々木のプリンス」と呼ばれているが、これは予備校の代々木ゼミナール(略称:代ゼミ)のこと。最近、代ゼミもすっかり存在感減ったよなあ。
第五話 買われた花嫁は紅バラを拒んだ
実は道内きっての大手企業の御曹司である山内鉄馬。その鉄馬のお見合い話に巻き込まれて、散々な目に遭う数子のお話。鉄馬の恋人役を務めて、50,000円もらえるのはバイトとしては美味しい。
利用しているつもりが、逆に利用されていたとわかった時の数子の反応が面白い。
第六話 人生は百万のリハーサルと体力を要求する芝居だ
満更でもない男子にモーションをかけられ、いやいや、自分は譲叔父さん一筋なのだから、いかに相手を傷つけずにエレガントに告白を断らないと!
と、勘違いから突っ走り、誤解の果てに自爆する、氷室冴子の王道パターンを行くタイプのストーリー構成。こういうの、この作家はが書くとやはり上手い。
第七話 漫画家ほど素敵な商売はない!……と思う
ここから下巻。家弓に巻き込まれて、マンガ家の修羅場を体験させられるお話。
それにしても、受験期間中(共通一次が終わったばかり)なのに、勉はそんなことしている場合じゃなかったと思うぞ。どう考えても。
なお、「センター試験」すらなくなる昨今だが、「共通一次(大学共通第1次学力試験)」はセンター試験の前身的な存在の、1979年~1989年にかけて存在した大学入試の共通試験のことね。
第八話 哀愁のトムーーその時、彼はキャベツを買った
勉の二浪確定エピソード。問題の「モカ」は現在だとこれかな。
最近は眠け覚ましドリンクもたくさん出ているけど、当時はこれが圧倒的に有名だった。服用にはくれぐれもお気をつけて。
第九話 ヒロインの条件は"絵になる"ことなのだ
廃部目前の演劇部に協力し、学内での舞台上演に参加することにした数子。宿敵である清香の特訓まで受けたのに、これまた目算が狂って散々な目に遭うお話。数子のいいところは、性格が悪いながらも、努力はきちんとするところなんだよね。まあ、目指すべき着地点が往々に間違っているんだけど。
第十話(番外編II) 嗚呼、受難の日々ーー鉄馬には鉄馬のいわくいいがたい苦しみがある
こちらも雑誌連載にはなく、文庫化に際して加筆されたオリジナルパート。作中でも異常な存在感を放つ、真正硬派ゲイ、山内鉄馬の特殊性癖故の苦労話。
氷室冴子、どんだけこのキャラ好きだったんだよというくらい鉄馬の出番は多い。実質的に第四の雑居メンバーと呼んでも過言ではないくらいだと思う。
第十一話 続・嫁小姑戦争
雑誌連載時、この作品だけは連載二回分を要している。その分、ページ数も通常の倍ある。清香の妊娠疑惑と、譲の浮気疑惑。これまたいいように、清香の掌の上で踊らされている数子。でも、清香の妊娠疑惑に対して「流させる方法は、あるかしら」はさすがにドン引きですわ。
作中では最後のエピソードだが、物語としての完結感はなく、この生活がまだまだ続いていくのである、的な幕の引き方になっている。続篇の構想も当時はあったのだろうか。
新装版ではいろいろ修正が入っているらしい
本作は1998年に愛想版(Saeko’s early collection)が刊行されている。こちらの版は、わたし的には未読なのだが、数子の過激すぎる言動の数々や、叔父と姪の結婚が可能となっている部分については修正が入っているとのこと。