米澤穂信の警察小説が登場
2023年刊行作品。文芸春秋の刊行するエンタテイメント系小説誌「オール讀物(よみもの)」に2020年~2023年にかけて、散発的に掲載されていた作品を単行本化したもの。本作には、米澤穂信(よねざわほのぶ)作品のお約束として英題が存在する。こちらは「Combustible Substances(可燃性物質)」と、わりとそのまんま。
『可燃物』は、ミステリ系各ランキングを席巻し三冠を達成。結果は以下の通り。米澤穂信はこの手のランキング毎年強いよね。
- このミステリーがすごい!:2024年版国内編1位
- ミステリが読みたい!:2024年版国内編1位
- 週刊文春ミステリ・ベスト10:2023年国内部門1位
- 本格ミステリ・ベスト10:2024年国内2位
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
主人公が刑事、警察組織をメインとした作品がお好きな方、警察小説を愛好している方。警察小説でありながら、本格ミステリの要素もしっかり入っているタイプの作品を読んでみたい方。群馬県在住もしくは、群馬県への愛がある方におススメ!
あらすじ
群馬県警本部、刑事部捜査第一課に所属する葛警部は、今日も県内で発生する数々の事件の捜査に明け暮れている。消えてしまった凶器(崖の下)。目撃者の証言が不思議と「一致」してしまう交通事故(ねむけ)。意図のわからないバラバラ遺体(命の恩)。容疑者が特定できない放火事件(可燃物)。ファミレスで起きた立てこもり事件(本物か)。上司からは煙たがられ、部下からも距離を置かれている葛だが、傑出した捜査能力で次々に事件を解決に導いていく。
本作には五編の短編作品が収録されている。連作形式ではないので、どの作品から読み始めても問題はないように書かれている。
ここからネタバレ
米澤穂信が警察小説を書いたら面白いに決まってる!
ミステリ評論家の新保博久(しんぽひろひさ)によれば、「日本のケーサツ小説はガラパゴス進化を遂げた」のだとか。国産の警察小説は本当にいろいろな作品が世に出ていてまさに百花繚乱。警察小説だけ読んでいても読書には困らない程だ。
そんな日本の警察小説に新しい作品が登場した。後出しじゃんけんみたいで恐縮だけど、米澤穂信が警察を舞台とした小説、警察小説を書いたら絶対面白いだろうとは常日頃から思っていた。
ちなみに警察小説の魅力については呉勝浩の『爆弾』の記事で触れたのでよかったらこちらも読んでね。
巨大組織の論理に絡めとられ、とかく自由が効かない警察機構。その中にあって、いかに自らの信条を貫くか。もしくは貫けないのか。ビターな作風が持ち味の米澤作品と警察小説は相性がいいと思うんだよね。
魅惑の群馬県警ミステリだった
まずは警察関係者の一覧。漏れてる人多いけど、出番の多い人だけ。
- 葛(かつら):群馬県警刑事部捜査第一課所属。警部
- 小田(おだ):同。強行犯捜査指導官。警視
- 新戸部四郎(にとべしろう):同。捜査第一課長
- 主藤(すどう):検視官
- 佐藤(さとう):葛の部下
- 村田(むらた):葛の部下
警察小説や、警察関連ドラマを見る方ならご存じだと思うけど、県警の捜査一課は、県の警察官の中で優秀な人材だけが抜擢される、最精鋭が集う組織だ。通常、警察官は街の交番勤務で実績を積み上げて、所轄署の刑事となる。この中で頭角を現したものが県警本部勤務となる。その中でも、捜査一課は殺人や放火、強盗などの凶悪犯罪を取り扱う部署で、警察組織の中では花形とも言えるポジションだ。
本作の主人公である葛は、この群馬県警の捜査一課においてチームを率いている。上司からは疎まれ、部下からは敬して遠ざけられている。ただ、個人としての捜査能力は超一流という設定だ。警察は集団行動が基本なので、葛のような群れない一匹狼タイプはなにかと行動がしにくいはず。とはいえ警察は実力社会でもあるので、結果を出し続ける限りは使ってもらえる。このあたりバランスが良い!
また、この物語は群馬県を舞台にしている。太田市や伊勢崎市、谷川岳や上毛地域など、実在する群馬県内の地域が多数登場するので、群馬県に土地勘のある方なら更に楽しく読めるはず。個人的に群馬県はよく行く地域なので、読んでいてとても楽しかった。
それでは、以下、各編ごとにコメント。
崖の下
初出は「オール讀物」の2020年7月号。
スノーボードを楽しんでいたグループが、無謀なコース外滑走を試み遭難。その後、一名が遺体で発見される。事故死ではなく明らかに他殺。犯人はほぼ特定できたが、凶器がどこにも見当たらない。犯人はいかにして殺害を成し遂げたのか。
容疑者と被害者、そして関連する登場人物はこんな感じ。
- 水野正(みずのただし):容疑者。建設会社勤務
- 後藤陵汰(ごとうりょうた):被害者。酒販店勤務
- 下岡健介(しもおかけんすけ):無職。スノーボードに堪能
- 額田姫子(ぬかたひめこ):パチンコ店勤務
- 浜津京歌(はまづきょうか):保育園勤務
どうやって殺したのか(How done it、ハウダニット)と、何故殺したのか(Why done it、ホワイダニット)、二つの側面から楽しめる作品。どうしてこれほどまでに凄惨な殺害方法が取られたのか。「刺してはいない」「刺さったんだ」。容疑者の最期の言葉の真贋は不明なまま物語が終わるのがなんとも米澤作品らしい。
ねむけ
初出は「オール讀物」の2021年2月号。
強盗致傷の容疑者が交通事故を起こした。容疑者は信号無視を冒している可能性があり、警察としては危険運転致傷で引っ張りたい。警察は目撃者の証言を集めてまわるのだが、深夜にもかかわらず複数の目撃者が存在し、しかもかれらの供述は不思議と一致していた。そこにはどんな意味があるのか。
関係者はこんな感じ。
- 田熊竜人(たぐまりゅうと):容疑者
- 金井みよ子(かないみよこ):強盗致傷の被害者
- 水浦律治(みずうらりつじ):交通事故の被害者
- 蒲田照夫(かまたてるお):工事現場の誘導員。事故の目撃者
- 古賀久(こがひさし):コンビニ店員。事故の目撃者
- 岡本成忠(おかもとなりただ):医師。事故の目撃者
- 紙川翔介(かみかわしょうすけ):大学生。事故の目撃者
地方都市で深夜に起きた交通事故。通常であれは目撃者探しに苦労するところ。しかし四人もの目撃者が確保でき、しかも不気味なまでにその証言内容が揃っている。それは何故なのか?タイトルがかなりネタバレ気味なので、勘の良い読み手であれば、オチの想像がついてしまうかもしれない。
命の恩
初出は「オール讀物」の2023年2月号。
榛名山麓の景勝地、きすげ回廊で中年男性のバラバラ遺体が発見される。犯人はどうして発見されやすい、遊歩道のすぐ近くに遺体を遺棄したのか。そもそもバラバラに解体した理由はどこにあったのか?
まずは関係者一覧。
- 野末晴義(のすえはるよし):被害者。塗装業を営む
- 野末勝(のすえまさる):晴義の息子
- 宮田村昭彦(みやたむらあきひこ):クリーニング工場勤務
- 宮田村香苗(みやたむらかなえ):昭彦の娘
かつて娘と自分の命を救ってくれた相手に対して感じる恩。命の恩人が自殺してしまった。しかしこのままで残された恩人の息子が不幸になってしまう。恩人の息子に、保険金の残すべく、犯人が選んだ方法とは?犯人の善良性がきっかけとなって事件が起きているという構造が実にやるせない。
可燃物
初出は「オール讀物」の2021年7月号。
群馬県太田市の住宅街で相次いで起きた放火事件。県警捜査一課が捜査に乗り出すが、その直後に放火事件はまったく起きなくなってしまう。犯人は何故、放火をやめたのか?その意外な理由とは??
今回の関係者はこんな感じ。
- 磯俣洋一(いそまたよういち):放火事件の一発見者
- 小河峰雄(おごうみねお):チンピラ。放火事件の容疑者
- 大野原孝行(おおのはらたかゆき):七年前に起きた火災の現場責任者
犯人が火をつけているのは可燃ゴミばかり。それも比較的、すぐには燃えにくい生ゴミがターゲットとなっている。あえて「燃えにくい」対象が狙われたのは何故なのか?「命の恩」と同様に、こちらも善意から(ひとりよがりではあるのだが)発した犯罪である点が面白い。
本物か
初出は「オール讀物」の2023年7月号。
群馬県伊勢崎市のファミリーレストランで起きた立てこもり事件。偶然現場に居合わせた葛は事件に巻き込まれることになる。犯人と思われる人物は拳銃を所持している。にわかに高まる緊張度。果たしてそれは「本物」なのか?
- 志多直人(しだなおと):タクシー運転手。事件の容疑者
- 青戸勲(あおといさお):ファミレス店長
- 代崎恵(しろさきめぐみ):ファミレス店員
- 安田明治(やすだあきはる):ファミレス店員
- 倉本香里(くらもとかおり):ファミレス店員
- 湯野有加里(ゆのゆかり):ファミレス店員
- 久島一伸(くしまかずのぶ):ファミレスの客
単独の立てこもり犯かと思われた事件。しかし犯人は拳銃を持っている可能性があり、しかも人質を取っていることが明らかになる。次第に緊張が高まっていく捜査陣。事件の解像度が次第に上がっていく中で、ラストでがらりと真相が逆転する展開が実に小気味よい。「本物」には拳銃だけでなく犯人の意味も込められていてダブル三―イングのタイトルになっているところも唸らされる。
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