ネコショカ

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非日常の希求と哲学的な意味、米澤穂信『さよなら妖精』そして『花冠の日』


米澤穂信の出世作

米澤穂信の三作目。2004年刊行。東京創元社のミステリ・フロンティア枠で刊行された作品。2001年の『氷菓』、そして2002年の『愚者のエンドロール』から二年の沈黙を経て久々に出た新刊が本作である。2005年版の「このミス」では国内20位に入っている。

『さよなら妖精』は、この作品が出ていなかったら、米澤穂信はマイナーラノベレーベルの一作家で終わっていたのではないかと思えるほど重要な作品である。昨今のような一線級の人気作家にはなっていなかったのではなかろうか。そう考えると本作の功績はあまり大きい。

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)

 

文庫版は2006年に登場。

さよなら妖精 (創元推理文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

更に2016年に、米澤穂信の作家デビュー15周年を記念して、単行本の新装版が刊行されている。ミステリ・フロンティア版は単行本とはいえソフトカバーだったが、こちらはしっかりしとしたハードカバーの四六版となっており、ファン向けの愛蔵版と言えそうだ。更に、描き下ろし短編『花冠の日』が収録されている(←超重要!)。『花冠の日』の感想については本エントリの後半で触れる。

さよなら妖精【単行本新装版】

古典部シリーズとの関係

本作がもともとは古典部シリーズの三作目として書かれていたことは、良く知られている話だろう。

元々は『〈古典部〉シリーズ』の3作目として執筆されていた作品であったが、2002年12月、著者は扱われているテーマと同レーベルの読者層との乖離により本作を出せない状況に陥った。この際、笠井潔の推薦もあって、東京創元社が動き、全面改稿の末出版されることとなった。

さよなら妖精 - Wikipedia より

本作の主人公の守屋の性格は、古典部シリーズの折木奉太郎に被るところがある。それでは他のキャラクターはどのような当て込みになっているのか気になり、ググってみたところ以下の記事を見つけることが出来た。

2006年に同志社大学のミステリ研究会が行った米澤穂信講演会のまとめらしい。

○『さよなら妖精』は当初古典部シリーズの予定だったそうですが、古典部の面々はどういう役割を果たす予定だったのか?
折木=守屋 千反田=白河 福部=文原
伊原が喋っていた台詞は白河・文原に分散された。
マーヤは千反田の家に居候している設定だった。
太刀洗は『妖精』のために作った新しいキャラ。
元々は折木・千反田・マーヤが主軸の予定だったが『妖精』になる際に守屋・太刀洗・マーヤに変わった。
最後の謎解きは折木が千反田に解説する第一段階。その後、喫茶店を去り一人で独白する第2段階に分かれていた。
白河の名前の謎解きは当初千反田でやる予定だったもの。その為白河の下の名前は千反田に似たものにした。
『妖精』のその部分を読めば千反田の名前の漢字表記も推測がつくだろう。

米澤穂信 総合スレッド その3 より

千反田=白河は、判るとして福部=文原は性格的にあまりしっくりこない。この辺は、かなり改変が入ったのだろう。太刀洗役は、折木姉か、入須冬実(女帝)あたりが割り当てられているのかと思ったが、この記事を読む限りオリジナルキャラであるらしい。太刀洗のキャラクターはかなり尖っているので、古典部シリーズの空気感とはそぐわない感じがするよね。

さて、前置きが長くなったので、感想に入ろう。

あらすじ

1991年春。高校生の守屋路行は一人の外国人少女と出会う。異国からやってきた少女はマーヤと名乗った。何事にもポジティブで好奇心旺盛な彼女の存在は、平穏で退屈な日常を送っていた守屋に大きな刺激をもたらす。二ヶ月余りの日々を過ごしてマーヤは故郷に帰っていく。彼女の祖国ユーゴスラヴィアに。残された謎が指し示すものはいったい……。

まずもって、タイトルからしてヤバイ

『さよなら妖精』である。いきなり泣きそう、というか泣く。もう悲劇の予感しかしないではないか。

わたしは米澤作品を、この時期、比較的リアルタイムで読んでいたので、古典部シリーズ二作を読んで、その次に読んだのが本作であった。この作家の学園モノのクオリティに対する信頼感も当然あるわけで、厭が応にも期待度は高まっていた。

この作品は2004年に刊行されているので、既にユーゴスラヴィア紛争は悲劇的な決着を迎えた後である。その時点では、もはやユーゴスラヴィアという国家は存在していなかったのである。比較的早い段階で彼女の故国がユーゴスラヴィアであることが判り、読み手の緊張感は跳ね上がる。悲劇的結末を予感させながら静かに流れていく地方都市の時間が切なくも美しい物語なのである。

マーヤの圧倒的な存在感と「劇的」に惹かれる気持ち

なんのてらいも臆面もなく「政治家になりたい」と答える少女の凛とした立ち姿のなんと清々しく美しいことか。狭く小さな世界で完結していた守屋路行の世界はマーヤと出会うことで広がっていく。

誰にでもあることかどうかは判らないのだが、人間って、未知の誰かに出会ったり、知らない何かを体験することでハッと世界が広がる感覚、自分が世界と繋がっているんじゃないかと実感する瞬間ってのが、あるんじゃないかと思っている。得てしてそれは勘違いだったり、単なる思いこみだったりもするんだけど、本人の感覚の中でそれは揺るぎのない大事件だったりするわけだ。

主人公が「劇的」に惹かれる気持ちは痛いほどよく判る。それだけに、あくまでも冷静で現実が見えているマーヤとの対比が残酷なコントラストになっていて、この物語の悲劇性がより高まっている。このあたりの越えがたい民族性のギャップの書き方は巧いなと思った。

意味を持ち始める「矛盾」

本作では、メインの謎解き(マーヤの出身国探し)の前に、四つの小さな謎とその解決が描かれる。

1)雨なのに傘を差さない男
2)神社に餅を奉納しようとする男
3)墓前に供えられた紅白餅
4)白河「いずる」の名前の由来

一見バラバラのエピソードに思えるが、通底する要素として「矛盾する要素」が変容して「別の意味」を持つようになったということがあるのだと思う。

これは、歴史も民族も言語も異なる6つの国を、強引に1つの国家として成立させた、「矛盾の塊」であるユーゴスラヴィアが、もしかしたら「別の形」に変容できたのではないか。たとえその始まりが矛盾に満ちたものでも、国家として1つにまとまることは出来ないのだろうかという、マーヤの切なる願いに繋がってくる話なのだと思う。「哲学的な意味」を問い続けたマーヤにとって、これらのエピソードの積み重ねはキチンとした意味があった構成なのである。

本作のサブタイトルでもある「The Seventh Hope」には、矛盾から始まった6つの共和国でも1つの国家として成り立つのではないか。7番目の国ユーゴスラヴィアとしてあり続けることが出来るのではないか。崩壊しつつある祖国ユーゴスラヴィアへのマーヤの想いが込められているのだろう。

もう一人のヒロイン大刀洗万智

本作の冒頭では、守屋が大刀洗に電話を掛け、大刀洗がその呼び出しを断っている。そして本作の結末部分では、大刀洗が守屋に電話を掛け、守屋を呼び出している。シンメトリカルで綺麗な物語の構成だが、実はこれ同じ日の話なんだよね。この時点で大刀洗は、既にマーヤの運命を知っている。

大刀洗は「劇的」という名の非日常に惹かれる守屋を終始気遣っていた。この時も、どんな気持ちで彼女が守屋を待っていたのかと思うと、初読から十余年を経た今でも泣ける自信がある。ここまでずっと冷静を保ってきた大刀洗の、唯一と言っていい感情の発露シーン。そして紫陽花のバレッタとの一年ぶりの再会は本作のクライマックスである。陽のヒロインマーヤと、陰のヒロイン大刀洗、対照的な二人のヒロインの存在は本作の魅力なのである。

「哲学的な意味」を問い続けた少女の物語『花冠の日』

最初にも書いたが、2016年に刊行された単行本新装版には、描き下ろしの短編『花冠の日』が収録されている。

今年に入ってから、古典部シリーズのレビューを書くようになって、遅まきながらこの作品の存在を知った。ここ数年小説作品全般を読んでいなかったので、アンテナが錆びついており全く存在に気付いていなかったのである。マジかよ!早く言ってくれよ!

本作では、故郷に帰ったマーヤの最後の一日が描かれている。日夜砲弾が打ち込まれる狂気の世界で、平穏な日常を取り戻すために哲学的な意味を問い続けた故の結末。10頁少々の短編というよりは、掌編とも言うべき物語だが、マーヤの人柄が伝わってくる、哀しくも愛すべき小品である。

さよなら妖精【単行本新装版】

さよなら妖精【単行本新装版】

 

おまけ:ユーゴスラヴィア史を知りたい人へ

本作を読んでユーゴスラヴィア史に興味が出てきた方へ、三冊ほどおススメ書籍を。

手っ取り早くユーゴスラヴィアの近現代史を知りたいなら、岩波の『ユーゴスラヴィア現代史』は良くまとまっているので特におススメである。『ドキュメント戦争広告代理店』はボスニア・ヘルツェゴビナが西側社会の世論を味方につけるために行ったPR工作を描いたノンフィクション作品。そして『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』はピクシーの愛称で知られる、サッカー選手ドラガン・ストイコビッチの視点で描くユーゴ内戦ドキュメントである。

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