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『嫉妬と階級の『源氏物語』』大塚ひかり

『秋期限定栗きんとん事件』「小市民」シリーズの三作目

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本ブログは基本ネタバレありで書いている、今回は『秋期限定栗きんとん事件』だけでなく、『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』についても内容について触れているので、その点ご注意いただきたい。

米澤穂信の「小市民」シリーズ第三弾

2009年刊行作品。『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』に続く「小市民」シリーズの三作目にあたる作品である。今回は、文庫書下ろし。

過去の二作は連作短編形式であったが、今回はシリーズ初の長編作品。しかも上下巻の大ボリュームである。「夏期限定」からは三年の間隔が開いており、ずいぶんと待ったファンも多いのではないだろうか。

秋期限定栗きんとん事件 上 小市民シリーズ (創元推理文庫) 秋期限定栗きんとん事件 下 〈小市民〉シリーズ (創元推理文庫)

って、まあその次の『巴里マカロンの謎』は2020年刊行だからその比ではないのだけど。

あらすじ

高校二年の秋。小鳩常悟朗はクラスメイトの仲丸十希子の告白を受け、交際を開始する。一方、小佐内ゆきは、一学年下の新聞部員、瓜野高彦とつきあうことになる。彼らの周囲では不可解な連続放火事件が発生しており、瓜野はその謎を解くべく奔走を開始る。毎月繰り返される放火犯の狙いは何なのか?

二年生の秋からの一年間を描く

『秋期限定栗きんとん事件』では小鳩くんと小佐内さん、二人の高校二年の秋から、高校三年の秋までの時間が描かれる。「秋期」と言いながらも作中で描かれる期間はかなり長い。

これまでは、小鳩常悟朗(こばとじょうごろう)一人の視点から物語は進行していたが、今回は小佐内さんとは別行動を取る都合上、小佐内さんサイドの視点を提供する人物として、一年生の瓜野高彦(うりのたかひこ)が配されている。

『夏期限定トロピカルパフェ事件』の結果として、小鳩くんと小佐内さんは互恵関係を解消し、別々に生きていくことを選択している。彼らの選択は正しかったのか?本作ではそんな彼らの「その後」が描かれている。

では、以下、各章ごとに振り返っていこう。

第一章:おもいがけない秋

冒頭にさりげなく引用されるのは兼好法師の『徒然草』の第85段である。『春期限定いちごタルト事件』の「はらふくるるわざ」でも引用されていたが、米澤穂信的に『徒然草』はお気に入りの古典文学なのだろうか?

原文

悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
(略)
偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

現代語訳

「悪党の真似」と言って人を殺せば、ただの悪党だ。
(略)
冗談でも賢人の道を進めば、もはや賢人と呼んでも過言ではない。

徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)/徒然草第八十五段より引用

本作を最後まで読めば理解できるが、この物語の根幹をなす考え方である。最初にこの言葉が引用されているのは実に意味深長と言える。

前二作を読んできた読者としては、小鳩くんと小佐内さんがいきなり他の異性と付き合い始めてしまったことに衝撃を受けたのではないだろうか?前作で二人の互恵関係は解消され、本作では別々の道を歩んでいる。二人の会話劇の楽しさは、この物語の面白さのキモとも言える部分だっただけに、作品から受ける印象もずいぶんと異なったものになっている。

第二章:あたたかな冬

10月に園芸部が借りている畑の刈った草が燃やされ、一連の連続放火事件がスタートする。瓜野くんがその事件への関与を始める。改めて、読み返してみると氷谷優人(ひやゆうと)の誘導があからさま過ぎて、めっちゃ怪しい(笑)。

小佐内さんの彼氏役として登場する瓜野くんは、自分は人とは違うと思いながらも、実力が伴わない。気持ちだけが逸るが、考えが浅く暴走しがち。他者への配慮も浅く、いろいろ残念が部分が多い人物として登場する。「小市民」志向故とはいえ、小佐内さんの人選が残念過ぎる。

毎月第二金曜日に決まって発生する放火事件には、何らかの共通要素があるのでは?ということで、本作はミステリ的には「ミッシングリンク」モノとして展開されていくことになる。

一方で、小鳩くんは仲丸十希子(なかまるときこ)とのデートを通じて、路線バスでの乗降ボタンの謎を地味に解いていたりする。少しでも油断すると、知恵働きを始めてしまう小鳩くんの業とも言える本質と、それに全く気が付かない仲丸さん。この二人の関係性に最初にヒビが入ったのはこの瞬間であったのかもしれない。

第三章:とまどう春

瓜野くんが新聞部での地位を固め、「月報船戸」でのコラム掲載が開始される。

小佐内さんとの交際が始まって半年ほど、瓜野くんは縮まらない二人の距離に悩む。クレームブリュレになぞらえた「薄いけど破れない殻」という表現は云いえて妙と言える。「逆青ひげ」の話もその後の彼の運命をしっかりと暗示しているんだよね。

ここで、小佐内さんの「マロングラッセ」発言が登場する。冒頭の「徒然草」同様、これ大事な台詞。

甘い衣の上に衣をまとって、何枚も重ね着していって。そうしていくうちにね、栗そのものも、いつかキャンディーみたいに甘くなってしまう。本当はそんなに甘くなかったはずなのに、甘いのは衣だけだったはずなのに。上辺が本性にすり替わる。手段はいつか目的になる。

『秋期限定栗きんとん事件(上)』p170より

小佐内さんとしても「偽りても賢を学ばん」。狼としての本性を押し殺して「小市民」として生きていくのだという気概が伺える一言。ここで瓜野くんは小佐内さんにとって「シロップ」でしかないことが判明する。本当に瓜野くんがかわいそう。

一方、地道に仲丸さんとの交際を発展させているかに見えた小鳩くんだが、今回訪れたのは版画展。イルカだとかクジラ、ジグソーパズルなんて言葉も出ているくらいだから、見に行ったのはラッセンかな?

ここで、仲丸(兄)宅が泥棒に入られた話の謎解き。小鳩くんの自動謎解き機能が作動してしまい微妙な雰囲気になりかける。小鳩くんは「小市民」である仲丸さんを自然に見下してしまう。小鳩くんの「小市民」志向があなり危うくなっていることがわかる。

『春期限定いちごタルト事件』の「羊の着ぐるみ」に出てきた吉口さんが、意外にも学園内の耳年増として再登場。仲丸さんに関する気になる情報がもたらされるのだが、小鳩くんのリアクションが塩対応過ぎる。

第四章:うたがわしい夏

『夏期限定トロピカルパフェ事件』事件で、小佐内さんを拉致するために使われた車が炎上。ここから小鳩くんは、事件の背後に小佐内さんの関与を疑い始め、五日市くんを陣営に抱き込み、事件への介入を進めていく。

相手が小佐内さんである以上、迂闊な動きは身を亡ぼす。篭絡と懐柔、情報操作は小佐内さんの特技である。対等な相手を見出した高揚感が小鳩くんを動かしていく。ここまで小鳩くんと小佐内さんの接触は無し。それでも「向き合ってる気がする」と思えてしまう。このあたりから、物語は小鳩くんVS小佐内さんの様相を呈し始め(瓜野くんの道化感が凄い)、一気に読み手のテンションも高まっていく。

一方で、仲丸さんとの間には、決定的とも思えるサーモンクリームパスタ事件が発生。二人の破局が確定的となる。『夏期限定トロピカルパフェ事件』で小佐内さんから指摘されていたけど、小鳩くんは他人の感情にホントに無頓着。というか、気づけないのか。仲丸さんは、小鳩くんに自身が「小市民」足りえないことを自覚させるためのキャラクターであったと思われ、ラスボス小佐内さんとの対決前に彼女が物語から退場するのはいたって自然な流れと言えるだろう。

第五章:真夏の夜

実質的な最終章。そして謎解き編。

この話が「秋」の話に思えないのはクライマックスが「夏」に設定されているから。炎の中から現れるセーラー服姿にハンマー握りしめた小佐内さん。火災現場で緊急事態なのに、笑顔でハンマー振り下ろす小佐内さん。この絵面がホントに格好良すぎて痺れる。久しぶりの再会なのに、一年間の空白がなかったかのように息の合った動きが取れる二人。前二作から読んできた読者へのご褒美としては最高のシーンなのではないだろうか。

二人に必要だったのは、「小市民」の着ぐるみではなかった。欠落と補完。需要と供給。唯一無二の「理解者」の存在だったわけである。結局この話は、ものすごく手の込んだ復縁話だった。

仲丸さんが小鳩くんを振った時の台詞を覚えているだろうか。

「形だけしかないとしても、恋は恋だよ。体温が上がるもん」

 これを踏まえて、小鳩くんは小佐内さんに言葉を慎重に選んでこう伝える。

「体温が上がるよ」

仲丸さんとの時間も決して無駄な時間ではなかったんじゃないかと思えて、ジーンと来てしまう台詞なのであった。

第六章:ふたたびの秋

後日談。そして、今回のオチ。

この一年間、二人がそれぞれに試みてきた、上辺の甘さを本性にすり替える「マロングラッセ」方式が失敗に終わったことが確認される。

「秋期限定」の栗きんとんがようやく登場。砂糖の衣を重ね着することで、栗本体も甘くなろうとする「マロングラッセ」方式ではなく、煮られて潰されてやっとアクが抜ける「栗きんとん」方式でなければ自分たちは変わることが出来ないのではないか。そんな結論に二人は到達するのである。

今後「小市民」シリーズに「冬期限定」が書かれることがあるとするならば、この二人が擂り潰されるような上位の存在が登場するのではないだろうか。

「うん、小鳩くん。また一緒にいようね。たぶん、もう短い間だと思うけど」

高校生活が残り少ないこともあるが、第五章ラストの小佐内さんの台詞には二人の関係に終わりがあることを明示している。米澤作品が完全なハッピーエンドで終わることは極めて珍しいことを考えると、この先、まだまだ油断は禁物だなと思ってしまうのである。

秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫)

秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫)

  • 作者:米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2009/02/28
  • メディア: 文庫
 
秋期限定栗きんとん事件 下 (創元推理文庫 M よ 1-6)

秋期限定栗きんとん事件 下 (創元推理文庫 M よ 1-6)

  • 作者:米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2009/03/05
  • メディア: 文庫
 

おまけ:ファイアーマン放火現場一覧&木良市消防計画

本作解読のための参考資料として、連続放火犯である「ファイアーマン」による放火現場一覧を挙げておこう。

10月 葉前(空き地に積まれた草)
11月 西森(児童公園のごみ箱)
12月 小指(資材置き場の廃材)
1月 茜辺(放置自転車)
2月 津野(河川敷の放置自動車)
3月 日の出町(バス停のベンチ)
4月 華山(商店街のスクーター)
5月 上ノ町(高架下の放置自転車)
6月 雨天のためなし
7月 北浦(廃屋の門柱)
8月 針見(民家脇の倉庫)

続いて、木良市消防計画より、消防分署一覧、おおまかな管轄区域

加納分署 加納町・安積町・三宮寺町
檜町分署 檜町・南檜町
針見分署 針見町
北浦分署 北浦町
上ノ町分署 上ノ町一丁目、二丁目
華山分署 上ノ町三丁目、華山
当真分署 当真町・鍛治屋町・日の出町
津野分署 津野町・木挽町
茜辺分署 茜辺町・茜辺東新町
小指分署 小指町
西森分署 西森町・旧洞ガ里
葉前分署 葉前町(山林区域含む)

おまけ2:今回登場したスイーツ店他

例によって、登場人物が訪れたスイーツ店の一覧を挙げておく。桜庵は三回目の登場であり、小佐内さん的に相当評価の高いスイーツ店なのであろう。

ガトーフレーズがとっても素敵なお店(第一章)

会話のみ。実際に行ったかは不明。

アールグレイ2(第二章)

小佐内さん:ティラミス コーヒー
瓜野くん:コーヒー

クレープ店(第二章)

店名不明。『春期限定いちごタルト事件』の「羊のきぐるみ」で、小鳩くんと小佐内さんが訪れていた「新しいクレープ屋」と同一かもしれない。

小佐内さん:いちごクレープ生クリーム増量
瓜野くん:チョコバナナクレープ

タリオ(第三章)

小佐内さん:クレームブリュレ
瓜野くん:コーヒー

桜庵(第三章)

小佐内さん:あいすくりいむ二種盛り合わせ(黒胡麻&豆乳)キナコ添え コーヒー
瓜野くん:コーヒー

ファミレス(第四章)

店名不明。

仲丸さん:サーモンクリームパスタ
小鳩くん:アボカドサンド

 

桜庵(第六章)

小鳩くん・小佐内さん:栗きんとん

おまけ3:恋とはどんなものかしら

第五章での小佐内さんの台詞「わたし、知りたかったの。恋とはどんなものかしらって」に対する小鳩くんの内心でのツッコミ、「フィガロ?」の元ネタはこちら。高校生でこのツッコミができる小鳩くん凄い。

モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』の中で歌われるアリア「恋とはどんなものかしら」に由来する。未だ恋を知らない小姓ケルビーノが、恋への憧憬を歌った一曲。エリーザベト・シュヴァルツコップの演奏でどうぞ。

その他の米澤穂信作品の感想はこちらから

〇古典部シリーズ

『氷菓』/『愚者のエンドロール』/『クドリャフカの順番』/ 『遠回りする雛』/『ふたりの距離の概算』/『いまさら翼といわれても』 / 『米澤穂信と古典部』

〇小市民シリーズ

『春期限定いちごタルト事件』/『夏期限定トロピカルパフェ事件』 『秋期限定栗きんとん事件』 / 『巴里マカロンの謎』

〇ベルーフシリーズ

『王とサーカス』  / 『真実の10メートル手前』

〇図書委員シリーズ

『本と鍵の季節』 / 『栞と嘘の季節』

〇その他

『さよなら妖精(新装版)』/『犬はどこだ』/『ボトルネック』/『リカーシブル』 / 『満願』 /『儚い羊たちの祝宴』『追想五断章』『インシテミル』『Iの悲劇』 / 『黒牢城』 / 『可燃物』